エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

草木と庭と猫と…本や日常のあれこれ、小さな発見

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ひと息ついて春の日和

 

 

 

夕方近くなって

やや日差しが陰ってきたら

また少し寒さも感じるが、

日中は穏やかな晴天で

ゆったり散策するのに

気持ちがよかった。

 

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リキュウバイ(利休梅)の花芽もふくらみつつ

 

昨日は彼岸の入りで

巷では、今日から3連休という話もあるが

我が家は、世間の暦どおりというわけでもなく、

春はまたひとつの変わり目にもなる。

 

ちょうど、週明けは春分の日で、

時節の大きな節目でもあるわけだ。

 

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こちらは、ユスラウメ(山桜桃梅)が咲き出す

 

実際、今、私自身も、ようやく!

新たなスタートが始まったところ、というか

変わらざるをえないところに、後押し頂いて(笑)

あらゆる面で、これまでとは、スタンスが

日々、また少しずつ変わっている。

 

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スノーフレークの花もちらほら

 

 

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プリムローズが綺麗に咲き揃ってきた

 

何がどうなるかわからないけれど

面白いシンクロもあるので

出来るだけ、新しいことに

オープンで

やってみようという感じ。

 

まだ、形になっているような

なっていないようなものなので

どうしても曖昧な表現になってしまうが

とにかく、変化が早くなっていると

感じる毎日だ。

 

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ユキヤナギの花も咲き出している

 

当然のように、出会う

周りの人々も、変化の最中の人が多い。

 

気ぜわしい変化の時ほど、

ひと息ついて

春の日和を楽しみたいものだと思っている。

 

 

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『サリーとライオン』-猫の画家クレア・ターレー・ニューベリーのデビュー作(&ライオンと交流)

 

 

 

今は古本となっているようだが、

愛くるしい子猫や犬、うさぎなどを描いた素晴らしい絵本がある。

作者は、クレア・ターレー・ニューベリー

(Clare Turlay Newberry 1903-1931)

 

2歳から絵を描きはじめ、6歳の頃には、

将来イラストレーターになると決意していたという。

自分の子供や飼い猫をモデルに、1930~60年にかけて

絵本作家として活躍。

 

1937年の"Mittens" 『こねこのミトン』のベストセラーにより

「猫の画家」として有名になった。

 

こねこのミトン (講談社の翻訳絵本)

クリスマスのこねこ (傑作ねこの絵本)

うさぎの マシュマロ (講談社の翻訳絵本)

こいぬのバーキス (講談社の翻訳絵本)

 

実は、この作家と知らず、

ちょっとレトロモダンな雰囲気、

オシャレなデザイン画風の絵に

惹かれた一冊の絵本があった。

 

サリーとライオン

 

 それが、『サリーとライオン』

作者名を見て、あれ、と思ったが、

クレア・ターレー・ニューベリー

デビュー作(1931年)だったのだ。

 

実際の絵本は、

上の画像より、ずっと鮮やかで綺麗な色彩になるが、

サリーという女の子と、ハーバートと名付けたライオンのお話。

 

おもちゃでなく、サリーが欲しかった本物のライオン。

お母さんが、あかちゃんライオンを連れてきてくれます。

一緒に遊び、やさしいライオンに育ちますが、どんどん

大きくなって、みんなが怖がるので、ハーバートを

山の牧場で暮らさせることにしました。

サリーのもとには、淋しくないように子猫がきました。

ところが、サリーが恋しいハーバートは…ある日…。

 

やがて、サリーのお父さんとお母さんが

下す結論が実にふるっていて、

とても楽しい爽やかなお話になっています。

 

サリーとライオン

サリーとライオン

 

 

まあ、ライオンもネコ科ですけどね。

 

そういえば、

昔、アフリカで幼少期を過ごし

動物とお友達になれるティッピという女の子が

いましたね。

(今は、フランスに戻り、成人されたようです)

本もありました。

 

ティッピ野生のことば

 

Tippi: My Book of Africa

 

  

また、"ライオン・ウィスパラー" (交流する人)

と呼ばれる

動物学者のケビン・リチャードソンさんもいます。

アフリカで、ライオンを中心の保護しています。

 

Part of the Pride: My Life Among the Big Cats of Africa

Part of the Pride: My Life Among the Big Cats of Africa

 

 

You Tubeなどで画像をご覧頂くと、わかるのですが

まるで猫がじゃれるように

ライオンやトラ、ハイエナといった

大型動物が、我先にと

ケビンさんにまとわりつく姿は

ほほえましいです。 

 

こちらでは、絵本の話でしたので、

ここで、ケビンさんとライオンについては、

私がよく拝見している獣医の森井啓二さんのブログを

リンクさせて頂きますね。(画像なども貼られています)

 

shindenforest.blog.jp

 

美しい自然、動物をはじめ、地球上で何が今起こっているのか

知っておきたい内容を発信されていますので、

森井先生のブログ "ひかたま(光の魂たち)" を

是非、ご覧頂けたらと思います。

 

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知られざる名作-『白い人びと ほか短編とエッセー』フランシス・バーネット

 

 

 

子供の頃から、本を読むのも好きでしたが、

いわゆる愛読書の中の一冊に、バーネット夫人たる

フランシス・バーネット( Frances Eliza Hodgson Burnett 1849-1924)の

秘密の花園』"The Secret Garden"があげられます。

それは、あらためて書けたらと思いますが

実は、大人のための4篇が収められた一冊が

中村妙子さんの訳で、みすず書房から出ています。

 

白い人びと―― ほか短篇とエッセー (大人の本棚)

白い人びと―― ほか短篇とエッセー (大人の本棚)

 

 

今日は、この本のタイトル作

『白い人びと』"The White People" から。 

 

 そのころわたしは、世間の人がよく言うような、ふとしたきっかけでこうなったとか、偶然の成行きでああした結果が生じたといったことは、じつは人生という織物のほんの一部にすぎないのだと確信するようになっていた。それまでのさまざまな出来事を思いめぐらすうちに、途中の経過はどうであろうとも、物事はすべてごく些細なことが互いに関連し合って、そこに理由や意味が生じるのではないかと考えはじめていたのだ。わたしたち人間はあまり利口でないから、原因や理由と結果の連鎖を正しく見きわめられないかもしれないが、この世界にはまったくの偶然などというものはない。結局のところ、わたしたち人間がすべて起こしているのだ。悪が生じるのは人間が正邪の別を知らないか、気にかけないかのいずれの場合で、善が生じるのはたとえ、正邪の別に無知であっても、わたしたちが意識的に、いや、無意識のうちにさえ、善を選ぶからなのだと。 

 

 わたしのようにごくふつうの娘がそんなことを言いだすなんて、ひとりよがりもいいところだと呆れられるかもしれない。でもそれはわたしがずっと考えてきたことだったし、どこにでもいるような平凡な人間が、誰にでも理解できる、平易な言葉で、何かを説明するのはわるいことではないとわたしは思っていた。

 

 そういう考えはアンガスといっしょに宗教とか、信仰とか、哲学とか、魔術といったことに関連して、世間の人が奇蹟とか、驚異と呼んでいるような出来事(でも実のところ、とくに目をみはるようなことではなく、ただほかの人がいまだに推論したり、理由づけしたり、受け入れたりしていないだけで、じつは自然の〈法則〉に則っているのだが)について記した、古今の書物を読むうちに、わたしの胸のうちにひとりで芽生えたものだった。

 

人里離れたスコットランドの自然の中で、

死者の魂を色白の人として視ることができる少女イゾベルが

穏やかに語る幻想的な物語。

 

『小公女』『小公子』『秘密の花園』など、

子どものための作品で知られたバーネット夫人の晩年の作品。

 

この作品には、

偶然はなく、すべての物事は自分自身が引き寄せているという哲学、

また、いわゆる“ワンネス”(全てのものは一体である)だったり、

体外離脱に近い、そうした言葉に表わしにくい感覚が

美しく描かれています。


一般的に、人が未知のものとして

“肉体を離れる死”を怖れと捉えがちなのに、

イゾベルは怖れる必要のないことを“知っている”のです。

 

この作品、2002年に文芸社から初訳出されましたが、

原書(洋書)の扉にあった、献辞が載っていなくて残念でした。

あらたに(2013年)出たみすず書房には、その詩があります。

 

ライオネルに  

  夜ごと、星は空に輝き

  潮波もやがては沖に還る

  時間と空間、高山と深淵

  いかなる力が押しとどめようとも

  彼は戻る、わがふところ

 

     TO   RIONEL

"The stars come nightly to the sky;

The tidal wave unto the sea;

Nor time, nor space, nor deep, nor high  

Can keep my own away from me."

 

これは、若くして他界したバーネットの愛息のことのようです。

あとがきによると、

詩は、アメリカの博物学者ジョン・バロウズ(1837-1921)の

"Waiting"の一節だそうです。

 

最初読んだ時は、ちょっと驚くほど、

内容は(いわゆる)スピリチュアルでもありましたが、

さすがはしっとりした深みと味わいのある佳品となっています。

 

この本には、他に短編とエッセーがあり、

コマドリや庭について、童話なども味わえます。

 

訳者あとがきの最後に、バーネット自叙伝から

この作品に繋がるのではないかというくだりが

引用されていました。

その自伝『わたしの一番よく知っている子ども』

"The One I Know the Best of All" も翻訳されています。

 

バーネット自伝―わたしの一番よく知っている子ども

バーネット自伝―わたしの一番よく知っている子ども

  • 作者: フランシス・ホジソン・バーネット,松下宏子,三宅興子
  • 出版社/メーカー: 翰林書房
  • 発売日: 2013/07
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

『白い人びと』の帯に印刷された言葉

(めぐる生命の環)がまた印象的でした。

 

信じてね、ヴィヴィ。私は不幸せをもたらすようなことは書けないの。この世には逃げられないことが数多くあるけれど、私たちの望むのはその反対のもの。生命、愛、希望、それらが本当に存在するということ。―F. バーネット

 

 

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今夏、詩人エミリー・ディキンスンの伝記映画を岩波で上映-『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 

 

 

 

アメリカの女流詩人といえば、エミリー・ディキンスン。

19世紀に無名の生涯を送り、没後見つかった大量の詩篇から

類まれなる才能を評価されるようになった。

今では、彼女の詩の数々が、

多くの人を(私もその一人だが)惹きつけてやまない。

ほぼ、屋敷に引きこもった生活であったため、

生涯は謎めいていたが、

ついにその伝記映画 "A Quiet Passion" が公開された。

 

昨年2016年、ベルリン国際映画祭でプレミア上映され、

その後、トロント国際映画祭、そして一般公開へと順次予定。

 

日本では、今年の夏7月から9月にかけて

岩波ホールで上映の予定という。

 

原題は、"A Quiet Passion"  

邦題『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 

トレーラー(英語)


A QUIET PASSION Trailer | Festival 2016

 

エミリーを演じるのは、シンシア・ニクソン

人気ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のミランダ役で有名。

他に、ジェニファー・イーリー

BBCドラマ『高慢と偏見』映画『英国王のスピーチ』など。

キース・キャラダイン、エマ・ベル(子供時代)、ダンカン・ダフ

 

監督は、テレンス・ディヴィス

『遠い声、静かな暮らし』『愛情は深い海の如く』

 

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 (配給会社:ミモザフィルムさんhttp://www.mimosafilms.com/lineup/index.htmlより)

 

このブログでは、絵本の紹介でディキンスンについて、書きましたが、

 

www.salon-shiroineko.com

 

書のブログではその詩を度々取り上げています。

エミリー・ディキンソン カテゴリーの記事一覧 - Everyday Magic-筆に想いを

 

 

今、知って頂くには、この辺りがいいかな…(一部転載)

 

一つの心が壊れるのをとめられるなら

わたしの人生だって無駄ではないだろう

一つのいのちの痛みを癒せるなら

一つの苦しみを静められるなら

 

一羽の弱ったコマツグミを

もう一度、巣に戻してやれるなら

わたしの人生だって無駄ではないだろう

               

If I can stop one Heart from breaking

I shall not live vain

If I can ease one Life the Aching

Or cool one Pain

 

Or help one fainting Robin

Unto his nest again

I shall not live vain.   (J‐919・f‐982)

 

 

そういえば、東日本大震災のあと、 

新聞(天声人語)に引用されたという詩があって、 

それは、ディキンスンの4行詩だった。

 

失意の胸へは

だれも踏み入ってはならない

 自身が悩み苦しんだという

よほどの特権を持たずしては―― 中島完訳

 

Unto a broken heart

No other one may go

Without the high prerogative

Itself hath suffered too       ( f-1745  J-1704)

 

生涯、表舞台にでることなく、ひっそりと 

詩作を続けていたエミリ・ディキンスン。

 

彼女の言葉は、 

そっと、ただ寄り添ってくれるかのように 

時に、人を癒してくれるように感じる。

 

ディキンスンの詩集で、手頃なのは、岩波文庫になるだろうが、

 

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 

 

単行本でもいろいろ出ているので、探してみるといいだろう。

ちなみに、上に引用した詩(中島完訳)は国文社刊になるだろうか。

 

私の好きな詩人エミリー・ディキンスンの

伝記映画が公開予定ということで、

どんな作品だろうかと想う。

 

19世紀といえば、以前、これはイギリスの作品だが

高慢と偏見』についても書いたことがある。

 

www.salon-shiroineko.com

 

 

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『すべてきみに宛てた手紙』-長田弘さんより

 

今年は、春になるかという頃に

真冬ほどではないが、まだまだ寒い。

 

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 ボケ(木瓜)の花芽がふくらんでいる

 

 

 

 

昨日のブログで

何かを終わらせるのが不得手なほうと書いたが、

その後たまたま、本をパラパラ拾い読みしていて、

何かを始めることより、やめるということに

着眼点をおいた文章が目にとまった。

 

 はじまりというのは、何かをはじめること。そう考えるのがほんとうは順序なのかもしれません。しかし、実際はちがうと思うのです。はじまりというのは、何かをはじめるということよりも、つねに何かをやめるということが、いつも何かのはじまりだと思えるからです。

 

 わたしの場合、子どものときから、はじめたことよりも、やめたことのほうが、人生というものの節目、区切り目として、濃い影のように、心の中にのこっています。

 すぐに呼吸がくるしくなって、どうしても全力で走れずに、走るのをやめ、はじめて、最後にゴールするには、とんでもない勇気が必要だと知ったのは、少年のある日です。 (中略)

 不器用で、ギターもフルートも覚えるまえにあきらめ、それきり楽器をまなぶのをやめています。好きだったのは山歩きで、とりわけ山々の尾根をたどって歩くのが好きだったけれども、身体を壊して、山に登るのをやめた。

 

 

これは、詩人長田弘さんの『すべて君に宛てた手紙』の

最初の手紙です。

 

すべてきみに宛てた手紙

すべてきみに宛てた手紙

 

 

  ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。

 煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事となりました。——読むこと。聴くこと。そして、書くこと。

 物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。

 

物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにある…

 

そうかもしれない。

ちょうど今は、周りや、他ならぬ自分自身の

新しいことがいろいろ始まりつつあるのだけれど、

何かすっきりしなくて(季節の変わり目のように)ね。

 

実は既にもう終わっていること、やめたことなど

私の場合は、多少ひきずっていたりするので

よけい瓦礫が増えるんだろうな(笑)

 

"結局やめなかったことが、わたしの人生の仕事となりました"

という言葉が響く。

 

私の場合は、やめたけれど、

やはりまた始めるということも加わりそうだ。

また、細々と続いていれば、やめてないわけか。

 

昨夜は満月だったし、下弦に向かいつつ

来週は春分の日という

大きな切り替えの節目でもある。

ようやく、いらないものは片付けようと

いう気になってきた。

 

本の後記にこんなくだりもありました。

 

 書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならない存在に変えてゆくことです。

 この本に収められた手紙としてのエッセーは、いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書かれました。手紙というかたちがそなえる親しみをもった言葉のあり方を、あらためて「きみ」とわたしのあいだにとりもどしたいというのがその動機でした。これらの言葉の宛て先である「きみ」が、あなたであればうれしいと思います。

 

新聞や雑誌などに掲載されたエッセイが

まとめられた長田弘さんからの手紙。

含蓄ある言葉が、タイミングよく届くものだ。

 

 

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