エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

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『すべてきみに宛てた手紙』-長田弘さんより

 

今年は、春になるかという頃に

真冬ほどではないが、まだまだ寒い。

 

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 ボケ(木瓜)の花芽がふくらんでいる

 

 

 

 

昨日のブログで

何かを終わらせるのが不得手なほうと書いたが、

その後たまたま、本をパラパラ拾い読みしていて、

何かを始めることより、やめるということに

着眼点をおいた文章が目にとまった。

 

 はじまりというのは、何かをはじめること。そう考えるのがほんとうは順序なのかもしれません。しかし、実際はちがうと思うのです。はじまりというのは、何かをはじめるということよりも、つねに何かをやめるということが、いつも何かのはじまりだと思えるからです。

 

 わたしの場合、子どものときから、はじめたことよりも、やめたことのほうが、人生というものの節目、区切り目として、濃い影のように、心の中にのこっています。

 すぐに呼吸がくるしくなって、どうしても全力で走れずに、走るのをやめ、はじめて、最後にゴールするには、とんでもない勇気が必要だと知ったのは、少年のある日です。 (中略)

 不器用で、ギターもフルートも覚えるまえにあきらめ、それきり楽器をまなぶのをやめています。好きだったのは山歩きで、とりわけ山々の尾根をたどって歩くのが好きだったけれども、身体を壊して、山に登るのをやめた。

 

 

これは、詩人長田弘さんの『すべて君に宛てた手紙』の

最初の手紙です。

 

すべてきみに宛てた手紙

すべてきみに宛てた手紙

 

 

  ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。

 煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事となりました。——読むこと。聴くこと。そして、書くこと。

 物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。

 

物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにある…

 

そうかもしれない。

ちょうど今は、周りや、他ならぬ自分自身の

新しいことがいろいろ始まりつつあるのだけれど、

何かすっきりしなくて(季節の変わり目のように)ね。

 

実は既にもう終わっていること、やめたことなど

私の場合は、多少ひきずっていたりするので

よけい瓦礫が増えるんだろうな(笑)

 

"結局やめなかったことが、わたしの人生の仕事となりました"

という言葉が響く。

 

私の場合は、やめたけれど、

やはりまた始めるということも加わりそうだ。

また、細々と続いていれば、やめてないわけか。

 

昨夜は満月だったし、下弦に向かいつつ

来週は春分の日という

大きな切り替えの節目でもある。

ようやく、いらないものは片付けようと

いう気になってきた。

 

本の後記にこんなくだりもありました。

 

 書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならない存在に変えてゆくことです。

 この本に収められた手紙としてのエッセーは、いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書かれました。手紙というかたちがそなえる親しみをもった言葉のあり方を、あらためて「きみ」とわたしのあいだにとりもどしたいというのがその動機でした。これらの言葉の宛て先である「きみ」が、あなたであればうれしいと思います。

 

新聞や雑誌などに掲載されたエッセイが

まとめられた長田弘さんからの手紙。

含蓄ある言葉が、タイミングよく届くものだ。

 

 

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