昨日は、小寒、寒の入りでした。
さすがに、外は寒くなっていますが、
それでも、日中は、暖房を入れずに過ごせるくらいで、
暖かいほうなのかもしれません。
オタフクナンテン、冷え込みで紅葉が進みました。
クリスマスローズ ニゲル 真っ白からピンクの色合いが入ってきた
さて、何か、唐突に思い出した本を
パラパラとめくっていたもんで
本日のタイトルは、ちょっといつもと違~う
本棚から、引っ張り出してきたのは
英文学者で翻訳家の小野寺健先生のエッセイ
渋めながらも充実した専門の英文学について
いろいろな作家の著書に関して語られ
文学と人生への深い洞察も興味深いですが、
イギリス的な物事にふれ、その本質というものを
実によく表わしているので、好きな一冊です。
まえがきの?“シェイクスピアの国”で、森鷗外の言を引用され、
「一体日本人は生きるといふことを知ってゐるだろうか。小学校の門を潜ってからといふものは、一しょう懸命に小学校時代を駆け抜けようとする。
その先きには生活があると思ふのである。学校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまはうとする。その先きには生活があると思ふのである。そしてその先きには生活はないのである。」
いま読んでもきわめて痛烈な指摘で、
事情はそれほど変わっているとは思えない。
問題はむろん、鷗外の使っている「生活」という言葉の意味である。
漠然と理解することはできても、明確に説明するのはかなりむずかしい。だが仕事一本槍の人生が人生の名に値しない、味気ないものである
ことは、もう誰もが認める時代になっているわけで、
鴎外のいう生活とはそうでない人生ということになるだろう。
ここでアマチュアリズムという思想が重味をもってくる。・・・・・
(段落分けしてます)
生活ね。確かに、学校時代を駆け抜けたら、
会社時代を突っ走り(短距離でしたが)、
思いがけない転機を迎えて生活のペースを落とすまでは、
春先に鶯が近くで鳴いていたのにも気がつかなかったものね~
今となっては(かなり)昔のお話…
一見生産的とも見える姿の何がまずいかって、
要するに、先走ったり、後々っていうのは、
「今ここ」を生きていないってことでしょうかね。
これリライト記事からだったのですが、
その後、また時代が変わったよね、と感じています。
最近、はてなでも、いろいろな方のブログを拝見するようになって、
またさらに、そう実感しています。
特に若い方たち、そして壮年の方たちも、もはや、かつてのような
仕事一本やりの人生を選ぼうとはしてない(選びようもない?)し、
皆それぞれ、新しい生き方を模索している姿が印象的だからです。
今後は、更に大きく世の中も変わっていくでしょうから、
これまでのやり方がそのまま通用しないわけで、
何でもやってみるしかないということなのかもしれません。
さて、こちらは、先と別の本なのですが、
生活についての言及でとても印象に残っているのが、次の一節です。
「先生、生活とはどんなことなんでしょうか」
「生活とは整理ですよ。片付けることですよ。物があるべき処に
あるようにすることだと思いますね。そして即創作ですね。」
問われて、答えているのは、陶芸家の河井寛次郎です。
実は記載を失念してしまって定かでないのですが、本は、版画家の
長谷川富三郎の「自分のなかのおないどし」ではないかとも
思います。棟方志功ではなかったと思うのですが。
民芸運動でも有名ですが、あの巨匠にしてこの言葉…
それにしても、名言だなぁ~と雑多な日常で思い出します。
と今日も、あるべきところへあるように片付けるわけですが
なかなか即創作に至らないところが、凡というか鈍でしょうか(汗)
ちまちま片付ける人間を尻目に、余裕 !? なのは…(笑)
(クレジットの字間違いあり shiroinekoのはずが…)
応援クリック↓↓よろしくね!
ありがとう♪ 励みになります。
にほんブログ村
ご来訪ありがとうございます。