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予報通り、雨が降っている。
先月後半からか、この辺りは
ものすごく寒い日も少なかったが、
どうも、春めいて暖かいという日もあまりなく
…といった感じかな。
で、私も、このところ
淡々と更新しているような…(笑)
何だかな~
変わり目はいろんな面で、すっきりしない。
ああ、私の目の前が美しい 後ろが美しい 上が美しい 下が美しい
私を取り巻くすべてが美しい ああ、私は美の小道の上を歩いている
ぼくのナバホ・インディアンの友だちによると、この祈りの中の『美しさ』とは、「混沌」や「ネガティブなものとポジティブなものが混在している状態」を表し、また、「葛藤」や「矛盾」に出くわしたときに起こる、自己とそれらとの合間に見えかくれする調和をも意味するらしい。つまり、自分の周りは矛盾だらけではあるけれど、その中で何とか折り合いをつけて生きている。それこそが『美の小道』なのだ、と。
『自分を信じて生きる インディアンの方法』 松木正
最近の子供に、整然と植林された林と
雑木林の写真を見て尋ねると
植林された方を好きだという子が多いとあった。
すっきりしているということなのだろうが
物事を、何でも白黒つけようとしたり
関係ないと切り捨てたり
矛盾を排除しようとすると
だんだん、当人も生きづらくなっていくものだ。
先住民族の暮らしや智恵を学び
実践活動を通して、またこうした著書で
示唆にとんだ話を
とてもわかりやすく伝えてくれます。
もともと私たち日本人も
やおよろず(八百万)の神、あらゆるものに神が宿ると考えた
アメニズムの文化であり、自然と共生する
志向に近いものがあるはず。
本来はこうした感覚的で繊細な知覚に優れている
のではないかと思うのですが。
判断を急ぎすぎてはいけない。何が起きているのか、よーく見るんだ。そうすると、いつしか頭ではなくハートが『よし!』と判断をくだすときが来る。それを覚悟というんだ。
「矛盾はあっていいのだよ」
ラコタ族の長老は言う。
―中略―
老人たちはだれに恥じることなく、こう語るのだ。
「そもそも、自然も宇宙も、矛盾をはらんでいるのだ……。自然は母で、われわれ大地の子にたくさんの恵みを与えてくれる。しかし自然は人を殺すこともある。矛盾でいっぱいだ。どうしてこんなちっぽけな人間が、白黒はっきりさせてうまくいくのだ? 宇宙はもともと混沌から始まったのだぞ!」
近代的な一方で狭い思考に行き詰まりがちな私たちに
素朴で実は豊かな在り方を思い出させてくれます。
興味を持たれたら、一読をお薦め。
"頭でなく、ハートで判断”というのも、
煩雑な日常で、ついつい忘れがち。
迷ってもいいから、常に、その時々の
自分の気持ちを大切にしよう。
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