ボケ(木瓜)の花も開いてきた
アドラー心理学を扱った話題の1冊 『嫌われる勇気』
我が家の本は、家族も精読していたようだ。
私は、気にとまった箇所の書き抜きからの
こちらへの引用が3回目(最終回)なので、載せておきます。
われわれが他者ほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。アドラー心理学が賞罰教育を強く否定しているのは、それが子どもを操作するためだからなのです。
誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。あなたにしても、縦の関係を生きているからこそ、ほめてもらいたいと思っている。アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。ある意味ここは、アドラー心理学の根本原理だといえるでしょう。
そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。
なぜ人は介入してしまうのか? その背後にあるのも、じつは縦の関係なのです。対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまう。介入によって、相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる。
強制ではなく、あくまでも課題を分離したまま、自力での解決を援助していきます。
ほめるのでも叱るのでもありません。こうした横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。
いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝は尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。
結局、対等な横の関係を築くということは、
コミュニケーションの基本の構え(スタンス)であるとも思う。
ちょっと長くなりましたが、私自身は
アドラーのいう “共同体”についても
とても賛同したので、最後に載せておきます。
困難にあったとき、出口が見えないとき、彼は
“より大きな共同体の声を聴け”と述べています。
アドラーは自らが述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる、としています。
つまり、われわれが「共同体」という言葉に接したときに想像するような既存の枠組みではなく、過去から未来、そして宇宙全体までも含んだ、文字通りの「すべて」が共同体なのだと提唱しているのです。
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