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7月に入りました。
断続的に雨が降る
梅雨らしい天気が続いています。
半日陰のお多福アジサイ
飄々とした雰囲気の画家
熊谷守一さん(1880-1977)の絵が好きです。
特に晩年の簡朴な作品、
身近な題材、虫や花や草、鳥、猫などを描いたもの…。
自伝的随想集『へたも絵のうち』がお薦めですが、
今回は、最近読んだ本からです。
45年住んだ家の庭の様子がわかります。
鳥をたくさん飼い、草花を育てる名人だったようです。
その旧宅は、今、熊谷守一美術館となっています。
そして、
先日、図書館にあった
『熊谷守一 画家と小さな生きものたち』に引き続き
『蒼蠅(あおばえ)』を借りました。
読むともなく、パラパラと目を通し始め、結局
お天気がすっきりしない昨日、読んでしまいました。
厚い立派な一冊ですが、字が大きく、淡々と読みやすい。
奥様の熊谷秀子さんの随想と、次女の熊谷榧さんによる
ものがたり年譜も載っている。
熊谷守一さんの書も味わいがあるが、
装丁の深緑に白抜きで、画伯による書『蒼蠅』が目をひく。
表紙を繰ると、その書、そして
土門拳氏による巻頭写真がまたいい。
展覧会では売れないで残る「蒼蠅」という字は、よく書きます。わたしは蒼蠅は恰好がいいって思うんだけれど、普通の人はそうは思わんのでしょうね。病気のときなんて、床の周りをぶんぶん飛んでくると景気よくて退屈しない。この頃は蒼蠅もいなくて淋しいくらいです。
前は暑い時期には庭にござを敷いて、腰に下げたスケッチブックに、あたりの草花や蝸牛や蛙や蟻や虫などをスケッチしました。疲れると、そこにごろりと横になって眠ったものです。
絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいのです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです。
石ころ一つそばにあれば、それをいじって何日でも過ごせます。
97歳まで生きたが、87歳の頃、文化勲章を受けるかの打診に辞退している。
お嬢さんの年譜によれば、
「わたしは別にお国のためにしたことはないから。」とモリはことわる。「残り少ない命をせめて自分のやりたいように生かしてくれ。」
ひげをはやした独特の風貌で、生まれは裕福な家だったが、画家となり、
長く極貧の生活を送り、天狗とか仙人と呼ばれたが、心外だったらしい。
わたしは、わたし自身も、仕事もそんな面白いものではないと思います。
わたしの展覧会をしたって、どうっていうことはない。
やる人もやる人だし、見る人も見る人だと思います。
フランスのパリの展覧会にも、体に自信がないので行かなかった。ずーっと日本の展覧会にも行ったことがありません。
川には川に合った生きものが棲む。
自分の分際を忘れるより、自分の分際を守って生きたほうが、世の中によいとわたしは思うのです。
いくら時代が進んだといっても、結局、自分自身を失っては何もなりません。
自分にできないことを、世の中に合わせたってどうしようもない。川に落ちて流されるのと同じことで、何にもならない。
周りに迎合することなく、気負いもなく、大作でなく
ほとんどが小品であったというのも面白い。
猫の画集もあります。
熊谷守一さんの絵を知り、惹かれたのは、まだ20代に入った頃でした。
中高年となった今、猫と暮らしてみると、あらためて
猫そのものだなぁと、その絵につくづく感心します。
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