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スリランカ初期仏教、
日本テーラワーダ仏教協会の長老です。
日本で長い間、ブッダの根本的な教えを
説いています。
時にピリリとして、あくまで明快な教えは
その多くの著書でも知ることができます。
私も、何冊か読んでいますが、
歯に衣着せぬ指摘で
心に響くものが多いです。
特にこれは、印象的なタイトルの一冊ですね。
老いていく親が重荷ですか。: ブッダから学ぶ、正しい介護との向き合い方とは
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/11/29
- メディア: 単行本
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おそらく介護に悩む人へ向けて書かれているのでしょうが、
それだけでなく、誰もが向き合う自分たちの老いや
人生の処し方の基本姿勢みたいなものについても
ブッダの教えに照らして示されていて
含蓄があります。
ここで、覚えていてほしいポイントがあります。
介護にかぎらず、人生の問題・課題は「感情ではなく、理性で取り組まなくてはならない」ということです。
介護を怖れる、嫌がる気持ちは感情の産物です。感情に振り回されることなく、「目の前に世話を必要としている親がいる」という現実を理性的にとらえれば、自分がすべき行いの道筋は自然に示されるでしょう。
感情移入せず、客観的に物事を見ることはとても大事だが、
家族とか近しい間柄では、なかなか容易でないのも事実。
介護に関しても、ネットワークや社会的な取り組みが
必要な課題でもあり、積極的に外部と繋がる工夫がいる。
社会には、一人では実現不可能でも、コミュニケーションを取り合って、力を合わせていけば成し遂げられることがたくさんあります。
介護もその一つでしょう。
一人で完璧を目指して介護しようと思うと、どんなに頑張ったところで限界にぶつかります。
その限界を突き破る力となるのが、コミュニケーションによる他者との連帯なのです。
実際に「介護ネットワーク」のような助け合うシステムをつくることができれば、介護生活に押し込められたような気持ちになって出口を見失ってしまいそうなときも、お互いにつらい気持ちを吐き出すことができるでしょう。
介護に限らず、誰にでも、何かしら起こるのが人生。
起きたことに、どう処していくのが大切になる。
人生で起こることから逃げられないという認識も大事です。起こったことは粛々と受け止め、そのうえでできることをやっていくしかありません。
介護だけでなく、人は生きているかぎり、毎日、何かと戦わなければなりません。苦労や苦難を受けとめながら生きることは、人間性を磨き、人格を高めることにも通じます。介護体験はその一つにほかならないのです。
老いは自然なことで、悪いことでは決してない。
物事は問題視するから、問題になるというのも
確かに一理あるかも。
老いにも、よい面もあることに気づくことです。
毎日、生きていく経験のなかで人は理性を育み、その理性によって、人生の諸相に対する考え方を成熟させていきます。
そして、若かろうが年をとろうが
人生で大事なのは幸福であること。
これ、先だっての記事で取り上げた本
『老いる勇気』(岸見一郎著)でも言及されていて、
すべては生き方の話となるわけ。
幸福とは、心安らかな状態でいられることです。
そうすれば、よけいな苦しみをつくらずに、死ぬ瞬間まで明るく穏やかに過ごせます。つまり幸福であるならば、老いも病気も怖くはない。これが老いや病気に対する仏教的な見解です。
では、幸福になるにはどうするのか。
そのための教えであり、哲学などが参考となるのだろう。
根本の考え方で、意識は変わるものである。
意識が変われば、行動も変わる…ってあったっけ。
本の見開きの文にもあった。
老いや病気を不幸だと思わないこと。
いまある状況を「自然な変化」なのだと考えること。
出掛けに雨が降ったら傘をさして家を出るように
理性という傘をさして対応するのです。
そうすれば、介護をする人も、される人も
心安らかにいられます。
私事では、親の介護は過ぎ去ったことであるが、
自分自身が老いと言われる年齢に近づき、
よりよく生きるための指針には興味もあって
一度は関係ないかなとスルーしたタイトルの本を
手に取り直したのだった。
あのやや辛口なスマナサーラ長老は
どう説いているのかな、って。
毎日、生きていくことは選択の連続です。
この瞬間だって、この本をもっと読み続けるか、そろそろ買い物に行くか、迷っているのではないでしょうか。当然ですが、本を読み続けることを選べば、買い物は諦めなくてはいけないし、買い物に行くほうを選べば、読書は諦めることになります。
生きるとは、その連続です。
介護を引き受けると心に決めたら、それまで望んでいたことは「諦める」。こうして美しく諦める人生には、悩みも葛藤も入り込む隙がありません。
諦めた地点から、人生は新しく展開し始めます。生きるとはそういうことだと明るく受けとめましょう。
こんな感じで更に具体的に
場面に応じて、どう対処する(考える)のか
やはり先だっての本と同じく
これから老いへ向かう人へも
夫婦や家族との在り方、
本来孤独な存在である私たちの生き方など
ピンクアナベル
考えようによっては、
介護をしている間は、まだその人は共に生きているわけで
その後、相手が他界して旅立ったら、
残された方はまた切ない思いもするのです。
しかし、旅立ったから悪いというものでもありません。
苦しみから解放されて楽になるというのも事実でしょう。
ただ、親しい人との別れは大変つらいものです。
人は「死」そのものを悲しむわけではない。
死によって、愛する人と永遠に
別れなければならない理不尽に対して、
自分の無力さを嘆いているのだ。
実際、親や誰か(ペットも)を看取るというのは、
つらいことでもありますが
今となれば、至らなかったと不満足な面もありはしたものの
あちらへ見送ることが出来てよかったという静かな
満足感もあります。
つらい思い出も日にち薬(時間の経過)で回復していくし、
それも自然だからです。
介護であれ、なんであれ、生きている間に降りかかってくる諸々の出来事は、ネガティブでもポジティブでもありません。すべては人生という学校で、自分が果たすべき宿題なのです。瞬間瞬間、出される宿題を自分で解いていかなければならない。その連続です。
介護の問題にかぎらず、いかに相手の尊厳を侵さないで生きるか、ということは「自我を張らない生き方」を実践するための宿題になります。つまり相手の振る舞いにイライラしないで、自分の幸福・やすらぎをどうやって保つのか、というチャレンジです。
人生の宿題に取り組むというあとがきもよかったです。
仏教哲学ですから、輪廻転生や家族間にはカルマ的な側面もあると
触れていますが、なるほどそうだろうなと納得がいくものでした。
生を受けた人それぞれの課題は違いますから
比べることもありませんし、ただ自身がどう対処していくかという
ことになるのですね。
日々、特に問題がないという人は大いに楽しめばいいし、
何か問題があっても囚われずに、
楽しんでいきることも大切なんだと感じています。
巻末に載せられた "慈悲の瞑想"の祈りの言葉がまた素晴らしいです。
先だっての本についてはこちら
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