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これまた、新刊コーナーで見かけて
手に取った一冊。
稀代の天才将士として知られる羽生善治さんの
これまでの歩みと共に語られた珠玉の言葉の数々と
デビュー当時からの姿を撮影してきた岡村啓嗣氏による
写真集ともなっています。
第一章は、疾走
デビューしてから名人を獲得するまでの頃
第二章は、練磨
七冠となってから谷川氏など先輩方との対戦を繰り返した二十代の頃
第三章は、死闘
同世代の強豪たちとの対戦
第四章は、泰然
台頭してきた若手との対戦なども含め、最近の日々
そして終章では
思考ーAⅠ×人間 の方向性についての見解が述べられている
直感を信じる
自然と湧き上がり、一瞬にして回路をつなげてしまうものを直感という。さらに、確信に結びつけることで、直感は初めて有効なものとなる。
少しずつ積み重ねることによって、
気がつけば着実に前進している。
自然にできることを続けていくという
健全さが必要なのだ。
進めたい、変えたいと思っても、
大きな流れの中では、
変えられないものもある。
どちらへ進めばいいかはわからない。
わからなくても、
どこかへ進むしかないのだ。
また、この後、同世代の挑戦者に苦戦を強いられた時には
羅針盤の利かない状況に身を置く
時代の流れを読んで未来を切り拓いていく力を身につけるためには、できるだけ既成の羅針盤が利かないような状況に身を置くこと。常識や前例といった答えがない状況になれば、強制的に自力で考えざるを得なくなる。それまでの自分の経験以外には、直感とも言うべき自分自身の方位磁石を使わなければ何もできない場所に、あえて身を置いてみることが一番の方法ではないかと思う。
その瞬間に集中する
その瞬間に集中するときには、まるで初めてその場面を見たかのように考えることが必要だ。そうしないと、これまでの指し手の連続性や継続性の延長で考えてしまう。「さっきまではあんなに優勢だったのに」とか「あんなに駒があったのに」とか。そこでいくら考え後悔しても、そうしたことは今現在の局面とはまったく関係がなくなっている。むしろ、そこに拘泥することで状況の打開から遠ざかる。
ミスをしたとき、私は切り替えて、「さぁ今から」と初めてのようにその場面を見る。そして何がベストなのかを考えることだけに集中していくことを大切にしている。
これまでとは違った物事が多く起こる今の時代には、
生き方としてもとても参考になる言葉が
たくさん響いてくる本だと思います。
分からないから踏み出せる、
見えないからこそ挑戦できる
複雑な場面では、
簡単に考える
羽生氏がデビュー間もない頃に、小堀清一九段と対局した際、
その当時74歳の老将士の気力に不思議な想いを抱く。
その姿に長きにわたり続けてこられた原動力を感じ取る。
変わらずあるためには、
変わり続けなくてはならない
欠点を直すことに
一生懸命にならない
欠点は長所の裏返しであることが多く、欠点をなくすようにすると長所まで消えてしまうことがある。短所も自分の能力の一部なのだから、無理に直すことで全体のバランスが崩れてしまう。自分のかたちに何か狂いが生じ、調子が落ちてしまう。
守ろう、守ろうとすると
後ろ向きになる
同じ形を何度も繰り返していくと、自分のスタイルを狭い世界に押し込めてしまい、息苦しさを感じてしまう。新しい手を試すことで、可能性がどんどん広がるほうが楽しい。守りたければ攻めなければいけない。私は、自分の将棋は常にそうありたいと思っている。
ところで、羽生さんは
将棋を指す上で、美意識も尊重している。
最後に思考に関してAⅠ(人工知能)対人間の考察が
あるのだが、面白いのは
「AⅠの指す将棋に、美しさは感じられない」という。
人間の美意識は、感情に基づくもので、
本能のようなものかもしれないという。
AⅠには恐怖心がないためではないかとも。
しかしながら、
人間の視野は思考の幅は狭くなりがちで
それをカバーして思いもよらぬデータをもたらすのが
AⅠだともいう。
──最近は棋士もAⅠを使って分析し勉強することが主流になってきた。そうして起こった最近のトレンドは温故知新。
AⅠは膨大な量のデータを残してくれるが、人間はその中から受け入れやすいもの、受け取りやすいものを取り入れていくことになる。そこで、今は流行っていないが、過去に存在して廃れてしまったような手がもう一度見直されることになった。
また
現段階で、羽生さんが見てきた
人工知能と人間、それぞれの得手不得手についてなど
そして、それぞれの進化に伴うこれからの方向性、
天才棋士の目からみた話は、興味深いものがある。
人の似顔絵を描くロボットの研究をしているコルトン先生という方がいる。
(中略)
ところがコルトン先生は自分は似顔絵を描くソフトはつくるが、詩を書くソフトはつくるつもりはないと言った。なぜかといえば、詩を書くという作業は、人が生きて生活をし、季節を感じ、そこで初めて作品として価値や意義を持つのだからと言う。
たしかに技術的にはできるようになる。技術的にはできるが、それをやる意味や価値が本当にあるのかという問題は──。コルトン先生の研究はその命題を投げかける。
羽生氏は、
適応力のある人間が、多少融通の利かないところのあるAⅠに
寄り添っていくことになるといい、しかし
必要以上に寄り添わない覚悟が大事になるのではと結んでいた。
羽生氏の名言と写真と共に、
人間と人工知能をめぐる話など
なかなか、興味深い一冊です。
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