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昨日、家族が
持ってきた一枚のチラシは
今年106歳になる美術家
篠田桃紅さんの展覧会の案内でした。
(http://www.kosetsu-museum.or.jp/mikage/exhibition/
本年、いくつかの美術館で開催されていたようですが
現在は、2019年8/1~10/14
香雪美術館 神戸にて開催中とのこと
若くは書家としてスタートされ
その枠にとらわれきれない才能は
文字の形を超えた抽象的な表現へ向かい、
ニューヨーク生活を経て
更に水墨抽象画という独自の世界を歩まれてきた。
100歳を過ぎても
精力的に活動をされていて
ご本(エッセイ)も出されていますね。
私自身、学生時代から
伝統的な書を嗜んできたこともありましたが、
筆墨の幽玄な世界には
不思議な魅力を感じています。
チラシを見ていて
YouTubeに挙げられていた
篠田桃紅さんのビデオをいくつか
拝見して
102歳の頃のNHKドキュメンタリー が
とても興味深かった
思わず引き込まれてしまったので
こちらに載せました。
桃紅さんの作品についての歴史というか流れから
創作のスタンス
何よりその人となり
実際のお姿と語り口から
とてもよく伝わってきます。
含蓄多い言葉が
印象的でした。
(季節の移ろいとか気配とかそういうものを
伝えようと、絵で?と問われ)
絵で伝えようなんて
そんな大それた望みは持ちませんよ、もう
無理に決まってんだから
伝達っていうより
その時私が
居合わせた私っていうものの
そういう時と空間と
私がそこにいたということに
よってしかできない色や形を創ればいいと
で私はその時に
ほんとに沢山の絵の具を持っていなくて
ほんとによかったと思いました
墨ってものだけ
ほんとによかったと思う
なまじ色だとか何とか入れると
みんなウソになっちゃう
この色と富士の色なんて
絵具では無理です
墨なら人々に
創造力を促すだけです
何色ですよとは言ってないですよ
だから、ずっと謙虚なんです
伝達の道具として
ほんとに謙虚な道具です
人の想像力を頼りにしてるんだから
こうですよと何者も押し付けない
だから私は
墨というものの知恵を深く感じましたね
自然というものの美しさを感じた時に…。
人生っていうのは究極に孤独なんですね
誰もその人をそっくり受け止めることは出来ない
ご夫婦も無理、親子も無理、友だちも無理
皆その一部を共有したということでしょうね。
(孤独はつらいことなんでしょうか、という問いに)
つらいとか、耐えるとかそういう次元じゃないのね
これはもう、天然自然、生き物っていうものの
ひとつの当然の形なのよ
(それこそ真理?)
そう、孤独ってことを特別に孤独ていうから孤独なの
始めっからそれ決まりきったことよ
一人で生まれてきて一人で死ぬんだもの
はっきりわかりきっているのに
やれ私孤独だの何のっていうのがおかしい
――孤独だの寂しいのって
人間のやってることってそういう
無駄なことばっかりやっている
真理っていうものは
みんな一度も本気で向き合っていないわね
ほんとに向き合えないのよ、人は
真理に、こわくて。
また、以前読んだ本も思い出しました。
非現実を生きてきたけれど
作品は現実に存在している
とも話されてましたが
芸術は感覚的に
本質に向き合いたくなる
人生の真理の一端を
静かに垣間見せてくれる気がします。
ところでまた
花を可愛いっていうのは
傲慢かもよ
花のほうが人間を可愛いって
思っているかもよ
って言葉には
苦笑いしてしまった。
私たちは傲慢になりがちだな~と。
そう、謙虚でありたいね。
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