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昨年末は、片づける方に気をとられ
なかなか本が読めなかったと言いましたが、
お正月に読んだ一冊が
読みやすくまとまって
とてもいい内容でしたので
(他のブログに載せるか迷いましたが)
こちらでご紹介することにしました。
著者の矢作直樹氏は、長らく救急医療の場に携わり、
東大病院の総合救急医療体制の確立に尽力された方です。
今は退官されましたが、確か現役中に
人の霊性(魂的な存在である)について触れたご著書を出されて
話題になったようですね。
その後、沢山本を出されていて、いくつか読んでいますが
これは中でも特に簡潔で、とても参考になる内容でした。
内容はずばりタイトル通りで
周りに振り回されずに自分軸で(動じないで)生きるために
挙げられている四項目
求めず、期待せず、依存せず、気にせず について
それぞれが章立てされ、手短に語られています。
*今やりたいことをやる
私は昔のエピソードを自分から話すことはありません。意図して(例えば本の執筆などで)掘り起こそうとしない限り、思い出すこともありません。
打ち合わせや取材では、国立循環器病研究センターや東大医学部附属病院など、かつての勤務先でのことを尋ねられることがあります。
そこで私が「実は、今はもう医療に携わっていません」と伝えると、聞く側の方々は「?」と不思議がります。
複数の医療機関や多くの専門科の現場で、経験を積み上げたのにもったいない、と言われます。
私は今、他にやりたいことがあります。だから過去が良いとか悪いとかいう話しではなくて、もう終わった時間に執着することもないのでは――、というのが本音です。
ノスタルジー(過去に対する哀愁)を求めなくてもいい。
最も大切なのは「今」です。今、この瞬間を楽しめばいい。
いわゆる「中今」という古神道から継承される思想は、今この瞬間を全力で生きる、全力で楽しむ、という感覚です。
ではこの感覚を獲得するには? 簡単です。無心(夢中)になればいい。
仕事でも趣味でもいい、無心になると、今そこに集中する自分以外の余計なもの(周囲か「らの雑音、過去の自分)は、自分から消えます。
無心になる、集中するほどのものがないと言った方がいましたが、だったら「息をする(呼吸)」とか「歩く」ことに集中しては?
呼吸や歩行は誰にとっても必要です。もしくは「料理」とか「運動」とか、意図的に体を動かすことをやってみてください。
集中するとわかりますが、余計なことを考えません。
他の著書でも度々語られていますが
今に集中する、というのがとても重要で、
今を楽しめれば、孤独もないといいます。
世の多くでネガティブなイメージを持たれている孤独ですが、物理的には孤独ではない人なんて、いません。生まれるのも死ぬのも一人、何であろうと最終的に決めるのは自分。孤独をネガティブにとらえる必要はありません。
皆、一人であり、孤独の身ですが、それでも「孤独感」は持つ必要がありません。人は、ずっと深い部分で他者とつながっているからです。
マイナスに作用する孤独感、例えば自分は誰からも愛されていないとか、生涯一人ぼっちだとか、そんな感情こそ不要。
一人だけど実は一人じゃない、誰もが見えない世界でつながっている、そんな感覚を持てれば、孤独を感じなくなるでしょう。中今、つまり今を楽しむことができればそんな感覚が持てるのです。
今を楽しむことができると、大きなメリットがあります。
・やたらと寂しさを感じることがなくなる
・自分がどこに所属しようといまいと、気にならなくなる
・イライラが減る(相対感が消える)
・生きていることに感謝できるようになる
これぞ「あるがまま」の姿勢です。
心が荒むなどと言いますが、それはあるがままでなくなった状態であり、周囲に振り回されて、自分で決められることを忘れた状態です。
「求めず 期待せず 依存せず 気にせず」
これを自分のペースとしてください。決められることを忘れないこと。
周囲の話も聞きながら、最後は「自分はどうしたいのか?」を心に問う。そこで出て来るのは、一番ピュアであり、信頼の置ける回答です。
また、多くの人の生死の場面に接してこられた経験からも
語られる話には説得力があるのですが
よく逝き方を気にする方にも、どのような形であろうと
いわゆる孤独死というものであろうと、良いも悪いもなく
(好みはあるでしょうが)結局は同じなのだと伝えてくれます。
そしてまた、これも仕事柄、誰も一人では生きられないのだから
お互いさまで助け合って生きましょうとも。
精神的に自立していれば、甘えても依存とは違います。
むしろ信頼関係があればこそでしょう。
長いこと医療の世界にいたおかげで、一つ学んだことがあります。人は皆、一人では何もできないという事実です。
何かとニュースになることが増えた介護は、まさにそれです。自律して生きるのが理想ですが、病気や事故、あるいは加齢などで体が思うようにならないと、誰か(どこか)のサポートが必要です。
だから、無理しない。甘えていい。
この世界は、おかげさま、お互いさまで作られていますので、互助の精神を大事にしたいものです。
本人だけでなく、家族も、さまざまな行政サービスを頼りましょう。
経営も、勉強も、家事も、何でもそうですが、一人で無理だな、難しいなと感じたら、相談できる人に相談すればいい。独居だろうと相談できる人が一人でもいれば安心できます。
くれぐれも抱えない。そして手を差し伸べる人を突っぱねない。
ここでもゆるくて広いスタンスです。とくに介護などの場合、頼れる人を持つこと。人の間と書いて、人間ですから。人は一人じゃ生きられません。
期待せず、でも信頼する。無理そうなら甘える。
一人で泣かない、思いつめない。自分を追いつめない。
これが大切です。
できることを、できる範囲で。
できない部分は、頼っちゃえばいいのです。
個人的になるほどと思ったのは
大事では動かず、小事でこまめに動く
柔軟力と不動力。二つは動く力と動かない力ですから、一見すると矛盾するようにも見えますが、実は矛盾しません。
大事では、動かない。
それ以外の小事は、こまめに動く(修正する)。
よって、矛盾しません。
この使い分けが最も生きやすいです。私もこのスタイルで暮らしています。そのためには「ゆるくて広いスタンス」を持つこと。
万事において、テコでも動かないという姿勢だと、人は逆に脆くなります。対応力が低下します。柔軟性がないのは、生きる上での選択肢を持たないということ。環境の変化には最も弱い姿勢です。
また、年齢的なものもありますが
矢作氏の立つ鳥跡を濁さずの精神での
リビングウィルの話も興味を惹かれました。
ご職業柄もあるのでしょうが
葬儀もいらない、献体という選択肢もあるんだと
知りました。
近年は墓じまいなど、どんどん死後の扱いをめぐる状況も
以前とはどんどん変わってきていますね。
他にも、また、褒められたらすぐ忘れよう、経験値に執着しない。とか
いい人をやめるコツ、それは「すべては流動的」という事実を知ること。
誤解を恐れず言えば、人を救おうというのは傲慢な考え。
矢作氏は医療現場でも仕事というスタンスだったそうです。
どんなに必死になっても、助かる助からないのは個人によって違い、
ドラマや映画のようにはいきません、と。
やりたいことには限りがありますが、考えてみると人生という時間も、最初から限りがあります。
だから、今を生きる。
今を大事にする。今に集中する。
過去はどうでもいい。
それはもう終わったこと。後ろばかり見ない。
あと何年生きられるかな、と考えない。
これから何をしようかな、と考える。
できるかな、と考えない。
やってみたいのなら、すぐにやってみる。
「いくつになっても自分のことはわからない」
これは一〇五歳で大往生された、日野原重明先生の言葉です。
深意に満ちた言葉です。
人はそれまで辿った数十年の軌跡で、自分を評価、分析しようとしますが、わかっているようで実はわからないことだらけです。
自分とは何者か。本当は何が好きで、どういう生き方をしたいのか。
まるで氷山のように曖昧な部分のほうが大きいわけですが、だからこそいくつになっても、人はあれこれと興味が湧きます。
自分が好きなことに何か未知なことを組み合わせると、面白いことが起きるかもしれません。化学変化が期待できると思いませんか?
キリがないのですが
激動の時代を生きる私たちに知恵を与えてくれる、
ご興味あれば一読をオススメしたい一冊です。
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