エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

草木と庭と猫と…本や日常のあれこれ、小さな発見

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節目の片づけで過去の文章に出会ってー書きたいことを書く(生きたいように生きる)

 

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台風で倒れた物置の下敷きになりつつも、復活して芽吹き

(斑入り沈丁花

 

断捨離してたら、残っていた思い出グッズの中に

原稿用紙に書かれた作文があって

思わず読んでしまった(笑)

昨年は令和に入ったが、

何と平成元年の…だよ。  

 

   学生時代と卒論から六年過ぎて

 

 あくまで、勤めは勤め、自分は自分と割りきっているはずだったが、一日の大半を過ごす職場、いつのまにか力が入り、煩雑な仕事と通勤に忙殺され、人間関係でもうんざりさせられ、ツッパリOLの心身共に疲れきった社会人五年目であった。そのような折り、思いもかけず膝の再手術をすることとなり、文字通りの骨休めに恵まれたみたいになった。

 

 ちょうど昨年、六歳離れた妹が大学四年生、私の退院後に、卒論書きで大騒ぎを繰り広げたが、私はリハビリを続けて家にいたので、忘れていた自分の学生時代と卒論のことを思い出したのである。

 以前、小塩先生が面白い話を述べられていたが、それは齢八十路の恩師が、自分の思考はいつも卒論のメトーデに戻っていくといわれ、それと同じ経験をくり返されているという。

 卒業論文は、それを書く人の生涯を通して思考のパターンを決定するほど大きな意味をもつものだと思う、という一文が印象に残っていた。

 

 自分の卒論を思い出すと、テキストの読み込みも、文献との対峙も怠った即席乱文ごときもので情けないが、とにかく提出に向けて書いてみて初めて、自分がこういうことに興味を持っていたのかと知って驚いた覚えがある。

 私は、漠然とした興味が英文学にあったので、それを大学で勉強したいと思っていたが、ナマケモノは流されてだらだらと過ごし、気がつけば三年生も終わろうとして、卒論どころか、目前に土砂降りの就職戦線といわれるものが広がっていた。

 

 シェイクスピアもテキストも、行きがかり上選んだ卒論の題目であった。それでもこれに取り組んでみれば、逆に、偉大な古典が、自身では気づかなかった自分の着眼点を教えてくれた形になった。いくらか卒論を書く過程で、自分で学ばなければならない大学ではこうやって勉強していくのかと気づいたら、はい、卒業という次第であった。

 ところで、私がゼミ編成時に出した興味を持っているテーマを見て、小塩先生が、珍しいですね、男性の研究者はいますが…というようなことをちらと言われた。それは英文学にあるユーモアというものに関してだったかと思う。しかし、それはあまりにも曖昧模糊としており、ほったらかしていたので、いつしかそのままになった。その後授業で読んでいたシェイクスピアが、実に多様な人間世界を見せてくれ、面白くなった成り行きで、卒論へと進んでいった。

 

 さて、私の卒論というのは、全体の流れを通して対象をみる、かなり大まかなアプローチであったように思う。卒論書きで、私は自分がどちらかというと、概念的、抽象的な物事の捉え方をしているのに気づかされた。まとまったひとつの作品論にはならなかった。

 それは、価値観の問題提起に始まったが、realtyとappearance、更にnatureとartの関係に進んでいった。シェイクスピア詩劇に現実世界を再生、創造する力を見出して、大げさに言えば、一種の芸術論の方向へいきつつあった気がする。意外な展開だったが、今思えば、それはまぎれもなく私の志向する一面であった。

 

 卒業後、もはや英文学も、論文を書く必要もない実社会で働く人になって六年たとうとしている。シェイクスピアという文字を目にすればなつかしいと感じるのみ、じっくり本を手にする時間はなくなりつつあった。と、ふと多忙な職場を離れた生活を送るようになって、私は学生時代の興味が思いの他薄れていないのに気づく。むしろ、社会に出たおかげで、今になって当時は漠然と英文学に惹かれた点が何なのかもわかってきた感すらある。

 それは、生きていくということに肯定的で、肩いからすことなく自らの生活を大切にする姿勢、リアリズムとリベラリズムの伝統にたたえられた文学、地味ながら味のある――ここらへんに余裕とユーモアが生まれてくるのではないかと思うが――文学である。当時は偶然卒論に進んだシェイクスピアは、この点でもイギリス的なること最たるものであった。学生時代は、それが単なる知識の域にとどまって、実感できなかったのだろう。

 

 それにしても、勤めはじょじょに疑問と迷いの日の連続となった。仕事を続けるしかなかったから、OLを演じてつっぱっていたけれど、常に自分はこうではないと感じる事柄が増えていった。枯渇寸前に、立ち止まって自己に立ち返る機会を持てて幸いである。

 足の手術をして、明けても暮れても膝を曲げる練習、骨がつくのをひたすら待ち、リハビリの日々、歩くという人間の最も基本的なことに立ち戻った入院生活を送って、人間はその本来の自然の根源的な力と、時の力を尊重しなければならないのだなと感ずる。そして、こんな時はちょっとした他の人の心が身に染み、力を与えてくれる。大事なのは、人が他とのつながりを大切にしながらもその人なりに生きていくことだと思った。

 

 思い出す学生時代は、無為の日々であるが、あの頃自身が興味を持てるものに出会っていたということは、やはりあの当時が少しは自分の根底となっているのであろう。立って歩くのに、足を地面につけていなければならない。ふらつく時に足場をみつめることもある。何しろ自分の足で歩ければそれは素晴らしいことだ。己の足元が大切なように、興味や好きなことが何のためになるかといったことは問題ではなく、謙虚にひたすら学び続けることだろう。スローテンポで現実でもリハビリをしても、私なりに歩んでいけばいいと教えられた感じのこの頃である。 

                  (平成元年一月二十九日)

 

 

 

 

この後、三十代に入った私は

通勤するという生活を卒業。

雅号も頂いて書の活動を本格化したけれど

それも今では過去となりつつある。

ろくに読めない、書けない、話せない、聴けないという

四重苦の英文科卒返上と、興味があった語学や

英会話と多読を始めて没頭したのも三十代半ばから。

四十代後半には、全く違うことも始め、

本当に人生はわからない、

から面白いのだろう。 

 

今回これを載せたくなったのは

たぶん、人生サイクルの節目のせい。

いわゆる転機や変わり目というのがあるけれど

占星術でも29歳ごろ、そして42歳ごろだそうで

これはたまたま今思うと

確かにわかりやすい状況の大変化があった。

(その最初の時期が今回の作文当時だった)

 

そして面白いのは、サイクル上

ちょうど今年がお祝いの年となるので(笑)

たまたま振り返る状況にもなったのかもしれませんね。

 

新しいスタート、ステージへ向かう時は

思い切った断捨離(場合によっては全捨離くらい)が

したくなるんだと思う。

 

また、先の作文では私のものの見方について

概念・抽象的という言葉で触れていたけれど

今なら、たぶん俯瞰的という言葉も使っただろう。

これが今の仕事にはとても役立っているから

それも面白いものだ。

 

あのころは日記でもつけていなければ

あらためて思いを文章にすることも

なかっただろうから、当時の私は

よほど書いておきたかったんだろうね。

今はブログが普及しているけれど

文を書くのが好きな人にはいい時代なのかな。

 

ネット上の読む人がいる場で文を綴るというのは

私の場合、確か誘われてミクシィを始めた時だった。

これが本当に愉しくて楽しくて(笑)

2006年くらいかな。

その後ネットショップの関連で2010年くらいに

ブログを始めたのが最初だったと思う。

ただ全くオープンな場で書くのは

自己開示に難しい面もあって(私にとっては)

その点では、ミクシィのような

限られた内輪のコミュニティはよかったかも。

 

お役立ち記事のライティングしたり

人のために書くということから

自分のために書くというのに戻しつつある今

ちょっと振り返る機会が来たのはよかった (´▽`) ホッ

人を気にせず、書きたいことを書く

(生き方のスタンスともリンクしているな)

少々チャレンジ、今更ながら目指してます(*´∀`)

  

 

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