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「私が猫と遊んでいるとき、私が猫を相手に暇つぶしをしているのか、
猫が私を相手に暇つぶしをしているのか、私にはわからない」
「日だまりに猫と戯れ」(42×29㎝)2005年 shoyo(章燿)
今日ご紹介する本にあったモンテーニュさんの言葉から
思い出したので、このブログタイトルの一部でもある
過去の拙書も載せましたが(∀`*ゞ)
お久しぶりの本カテゴリー。
副題は「いかに良く生きるか」
以前ほど、小難しい哲学的な内容が頭に入ってこない昨今だけど
養老孟司先生が推薦されてたり、”猫”がつくタイトルだったり、
何より印象的な猫の表紙絵に引き付けられた
ジャケ買い、パケ買いの一冊(って
図書館でリクエストして買ってもらった)
猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれ生活に満足している。一方、人間のほうは、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら悲喜劇的な結末を招く。猫はそんな努力はしない。人間生活の大半は幸福の追求だが、猫の世界では、幸福とは、彼らの幸福を現実に脅かすものが取り除かれたときに、自動的に戻る状態のことだ。それが、多くの人間が猫を愛する最大の理由かもしれない。人間がなかなか手にいれられない幸福が、猫には生まれつき与えられているのだ。
返却期限が迫って、何と半日足らずでざっと目を通してだけで
あれこれ伝えられないけど、メモ的に。
多くの人間が猫を愛する、とあったけど、歴史的には
特にヨーロッパでは魔女狩りに見るようにかなり虐げられたり、
とても信じられないような(動物を弄り殺す娯楽的、宗教的な)風習の対象と
なっていたという記述もあった。現代社会もかなり狂っているが、
昔から人間は悪魔的な存在にもなったという事実が悲しい。
またそうした人間の悲しさは、その虚しさを紛らわすために
様々な気晴らしや、個人の物語(欺瞞的な自己イメージ)を
必要とするという話もなるほどと思う。
また、ここでは、哲学者だけでなく、古今東西の作家の作品、
そして実在の猫の物語に触れられているので、
読んでなかった猫の作品いくつかについても知ることもできて
(コレットの『雌猫』、谷崎潤一郎の『猫と庄蔵と二人のをんな』とか)
面白かった。最後に、
いかに良く生きるかについて、猫がくれる十のヒント、が
簡潔にまとめられている。
すごいスピードで読んだ(というか目を通した)んで
印象的な箇所がどこにあったか、今はわからないけど
この最後の項目の中から、ちょっとだけ拾っておくね。
5 幸福を追求することを忘れれば、幸福が見つかるかもしれない。
幸福は追いかければ見つかるというものではない。何が自分を幸福にしてくれるのか、わかっていないのだから。そうではなく、いちばん興味のあることをやれば、幸福のことなど何ひとつ知らなくても幸福になれるだろう。
6 人生は物語ではない
人生を物語だと考えると、最後まで書きたくなる。だが、人間は自分の人生がどんなふうに終わるのかを知らない。あるいは、終わるまでに何が起きるかを知らない。台本は捨ててしまったほうがいい。書かれない人生のほうが、自分で思いつくどんな物語よりもはるかに生きる価値がある。
ちなみに、表紙を描いた坂口碧(アオ)さんは、
作家で建築家で画家で、音楽やったり畑やったり料理作ったり、
いのっちの電話をやっている坂口恭平さんの娘さんだ。
中学生だったかな。
猫といえば、動物写真家の岩合光昭氏もよく知られてますが
彼の言葉も、訳者あとがきで翻訳者の鈴木晶さんが
触れられていて印象的だった。
『猫の動きは見ていて飽きません。便利な生活の中で私たち現代人が現代人が眠らせてしまった野生を揺り起こしてくれます。[……]猫の自由さに触れるたび、原点に立ち返る大切さを思い出します」(朝日新聞デジタル、2017・12・22)
昨秋出たばかりなのだけど、覗いてみたら
オンライン書店では在庫切れで、お取り寄せ
(アマゾンでは高騰中)でした。
冒頭の拙書については、書のブログに載せてましたね。
当時、我が家のメンバーとなった猫たちと触れ合う、
幸せなひとときを記しておきたかったんだろうね。
今や、彼らと過ごした7年半程を越える(10年になろうと)
現猫譲が君臨してますが、アニマルコンパニオン万歳\(^o^)/
そういえば、今年は寅年だっけ(ネコ科だ)
彼女のお気に入りは虎ちゃんじゃなくて、後ろのひざ掛け…
蛇足だけど、最初のモンテーニュの言葉でもう一つ想起したのは
アリス(ルイス・キャロル)の
言葉を書いたのもリンクしておこうっと。
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