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こんにちは。
早や、九月も十日。1/3が過ぎ、
邪気を払い、不老長寿を願う祝いの節句とのこと。
お向かいの花友さんに頂いた株を植えてたら
9月に入り、次々と開花しています。

高砂芙蓉 落葉性性低木
すっくと伸びた茎に咲く
小さな一日花ですが
花裏に筋が入る可憐な姿は
風情がありますね。
さて、
9月に入って立て続けに
図書館で借りてきた
ミヒャエル・エンデの本を二冊読みました。
エンデは『モモ』や『はてしない物語』で知られる
ドイツの児童文学作家。
時間泥棒から現代人の時間を取り戻す少女『モモ』の冒険ファンタジーは
若い時に読んでとてもよかったですが、
他作品はようやくこの歳となって(笑)手にしたわけだ。
今回は岩波少年文庫の二冊で

今日は『魔法の学校ーエンデのメルヒェン集』から少しだけ紹介しましょう。
こちらは1996年に刊行されたメルヒェン集から選ばれた十編が入った
短編集となっています。
表題となっている『魔法の学校』は
「望みの国」を訪れた「ふつうの国」の大人のわたしが
滞在先のふたご兄妹ムークとマーリが入学した
魔法の学校を視察するお話。
入学した子供たちに先生が魔法の勉強をどんなふうに思うか?
尋ねると、呪文とか道具、薬草、杖、本やマントなどの答えが返ってきます。
先生は遮って言います。
「そういうものはぜんぶ、表面的な魔法の道具にすぎない。(中略)ほんとうに必要なものは、もっともっとかんたんだけど、しかし同時にもっと難しいことでもある。それは、きみたちじしんのなかにあるんだ。」
どういうことがわからない生徒たちに続けます。
「それが、『望む力』なんだ。魔法をかけようとするものは、自分のなかにある『望む力』をよく知って、つかうことができなければならない。しかし、そのまえに、自分のほんとうの望みを知って、それをじょうずに生かすことをならうんだ。」
「ほんとうは、自分の望みを自分がかくさず、ありのままに知るだけでもいいんだ。ほかのことは、ぜんぶひとりでにうまくいくものなんだから。とはいっても、自分のほんとうの望みがいったいなんなのか、みつけだすだけでも、なかなかむずかしいんだがね。」
「ほんとうの望みは、自分のほんとうのお話を生きるときにだけみつかるんだ。」
そして(私たちの)「ふつうの国」では自分のお話を生きたことがない人がほとんどだと言います。
例えば、有名なお医者や教授、政治家になるのが望みという人は、自分でも気づかないほんとうの望みは素朴ないい園芸家かもしれない。
「…たいていの人は、尊敬されたり、いい人だと思ってもらいたくて、そういっているだけなんだ。でも、『もらいたい』というのと、ほんとうに望むこととはちがっている。ほんとうの望みはぜんぜんちがうことがおおいし、まるっきり反対のことだってある。もし、それがべつの人のお話からでた望みなら、けっして自分のお話を生きることはできないだろう。…」
なかなか興味深いですね。
魔法学校の講義をするわけでないけど
もう少しだけ拾っておきましょう。
「さてと、きみたちにいよいよさいしょの、そしていちばんだいじな『望む力』の規則をおしえよう。」
先生はたちあがって、黒板にこう書きました。
1 ほんとうに望むことができるのは、
できると思うことだけ。
2 できると思うことは、
自分のお話にあうことだけ。
3 自分のお話にあっているのは、
ほんとうに望んでいることだけ。
こうしてムークとマーリも順調に
魔法の練習を積んでいくのですが、
語り手が滞在する「望みの国」の最後の午後に
事件は起こります。
それはまあ読んでのお楽しみということで…(´∀`)
この他の短編でも『レンヒェンのひみつ』『魔法のスープ』
『オフェリアと影の一座』など
気に入ったお話がいくつもありました。
『ただしくいうとー序文にかえて』のお話から始まり、
巻末にはドイツ文学者の池内紀さんの『ボクのひみつ』も
寄せられています。
ユーモアと風刺に満ちた、心に響くエンデのお話たち。
次回はもう一冊の魔法モノかな。
ポストカードこらーじゅ 175

ようやく雨が降ってひと湿りかな。
ご来訪ありがとうございます。




