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風がすごいですね。雨も降るみたいですが、
春先の嵐といった感じ。
さて、空想と現実…というと、
とりあえず両者は区別されるものではありますが、
特に子供は自由に両方の世界を行ったり来たり、
あるいは混在した日常に暮らしていたりします。
まあ、本当は大人だって一種幻想に生きているともいえ、
似たようなものでしょうが…。
“大きな港のそばの小さな島に、小さな女の子がすんでいました。お父さんは漁師で、女の子の名前はサムといいました。(本当はサマンサというのですが、いつもサムとよばれていました。)サムには、やたらに、うそをつくくせがありました。
海から帰ってきた、船乗りたちでさえ、サムほど不思議な話をすることはできませんでした。キリンや、ガービルねずみのような、珍しい荷物を積んで帰った港の船でさえ、サムのようにみんなをびっくりさせることはできませんでした。
サムは死んでしまったお母さんのことは人魚だといい、
家にはライオンと赤ちゃんカンガルーがいる、とも
(実際には賢い年寄り猫のバングスだけでしたが)
戸口のボロボロの足拭きマットは、竜の引っ張る戦車…といったぐあい。
お父さんは、彼女に
「いいかい、サム、きょうは“へんてこりん”(うそっこ)はやめにして、
“ほんと”を話しなさい。たまには、いいだろう。
へんてこりんは、もめごとのたねだからね」と言ったのでしたが…。
そんなサムの言うことを何でも一つ残らず信じたのが、
小さなトーマスでした。
赤ちゃんカンガルーが見たいと毎日訪ねてきます。
その度に、サムは「出掛けちゃったところだ」と言い、
トーマスは言われた先ならどこへでも探しに行きました。
高い木に登らせたこともありましたが、
ある日、人魚のお母さんのところへ行ったといいます。
トーマスはその洞穴のある大きな青岩目指して
自転車で進んで行きました。
「満ち潮が早いので青岩への道が水につかっちまう」と
言った猫のバングスも、青岩の方へ。
そのうち、天気は雨風で大荒れになってしまいました。
戻ったお父さんに叫びます。
「バングスとトーマスが岩にいったの!青岩よ!バングスとトーマスが!」
無事トーマスは見つかりますが、
サムにとっての“ほんと”であったバングスを諦めた頃、
彼はびしょぬれで戻ってきました。
“へんてこりん”にもいいものと悪いものがあるとお父さんは言います。
やがて、本当にまるでカンガルーの赤ちゃんみたいな
ガービルねずみもやって来て…。
サムはベッドで寝ているトーマスにあげることにしました。
へんてこりんなサムとねこ (1981年) (アメリカ創作絵本シリーズ)
- 作者: エヴァリン・ネス,猪熊葉子
- 出版社/メーカー: 佑学社
- 発売日: 1981/10
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「へんてこりんなサムとねこ」エヴァリン・ネス作・絵
猪熊葉子訳 祐学社
非常に素晴らしく、お話も彼女によるもので実によく出来ています。
ここで紹介している多くの絵本と同様、
優れた絵本に贈られるコルデコット賞受賞作ですが、
これも今は邦訳は、図書館で読めるだけのようで残念ですね。
(原書もお薦め)
Sam, Bangs, and Moonshine (Owlet Book)
- 作者: Evaline Ness
- 出版社/メーカー: Square Fish
- 発売日: 1971/05/15
- メディア: ペーパーバック
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ところで、猪熊さんの訳 “へんてこりん”は
原書の“MOONSHINE”ですが、moonshine には、
ばかげた空想、夢のようなつくり話、たわごと…といった
意味があるんですね。
実は、この言葉、
お話のおち(ねずみの名前となる)にもなっていて、
ほっとします。
(文庫"青い猫"#26より)
ところで、私も小さい頃、(まだ一人っ子の時)
おやつをもらえば、○○ちゃん(命名してた)の分とふたつに分け、
知らない人が聞いて、ほんとに妹がいるのだろうと信じたほど
リアルに、○○ちゃんの話をするので、
空想と現実の境がわかっているのかと
親が案じた時期があったそうです。
ちなみに、その後、何年かして、
○○ちゃんという名にこそなりませんでしたが(笑)
やはり、妹が生まれたのでした。
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