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一時、雨も降りましたが、
ようやく、晴れました。
アジュガ マルチカラー
――未来はわたしたちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。未来は芽の姿で、わたしたちといっしょにいる。いま、わたしたちといっしょにいないものは、将来もいない。芽がわたしたちに見えないのは、土の下にあるからだ。未来がわたしたちに見えないのは、いっしょにいるからだ。
ときどきわたしたちは、水気のなくなった、いろんな過去の思い出につつまれて、すえた匂いをはなっているように思われることがある。わたしたちが現在とよぶ古い作り土のなかに、どんなにたくさんの太った白い芽がぐんぐん伸びているか、どんなにたくさんの種がこっそり芽を吹き、どんなにたくさんの古い挿木苗が、いつかはかがやかしい生命に燃え上がる一つの芽となって、生きているか、もしもわたしたちがそれを見ることができたとしたら、秘められた将来の繁栄をわたしたちのなかにながめることができたとしたら、おそらくわたしたちは言うだろう。――おれたちのさびしさや、おれたちのうたがいなんてものは、まったくナンセンスだ。いちばん肝心なのは生きた人間であるということ、つまり育つ人間であるということだ、と。
『園芸家12カ月 (中公文庫)』 カレル・チャペック
私が好きな軽妙洒脱な一冊。
園芸家についてのユーモアたっぷりの考察なので、
庭いじり(ガーデニング)好きには
にやりと思い当たるふしも多く、笑えます。
カレル・チャペック(1890-1939)は
チェコの国民的作家で、ジャーナリストでもあり、
実に多才な人でした。
“ロボット”という言葉を造ったのもチャペック兄弟。
ロボット(R.U.R) は、
ある日、チャペックが見かけた光景、
生気もなく、満員電車に揺られ、すし詰めになった人々の姿が
個性のない機械のように感じられたことに、端を発していたという。
人間の労働を肩代わりしていてたロボットが、やはり反旗を翻し…
という話(こちらは戯曲)の展開。
これ、1920年の作品なんですよね、すごい。
そういえば、昔読んだのでは、
サンショウウオに傲慢な人類が乗っ取られる?
というような話もあったな。
これも、SFの古典的傑作といわれる。
ヒトラーや、ナチズムを批判した時代背景もありますが、
こうした傑作なお話の中にピリリと風刺のきいた優れた作品が多い。
自分で書いていて、
あらためて、今こそ読み直してみたい気にもなってきたわ。
さて、他にも
写真に載せた(今は、新装版で表紙が違うかも)
ミステリー味の小篇
『ひとつのポケットから出た話 (ベスト版 文学のおくりもの)』等から
童話『長い長いお医者さんの話 (岩波少年文庫 (002)』やら
犬猫のエッセイ、旅行記等々まで、沢山あるある(笑)
兄のヨゼフの愉快な挿絵とともに、実に多彩な作品を楽しめます。
園芸についての本を紹介するつもりでしたが、
チャペックさんが、あまりに多才過ぎるので(笑)
是非、興味を持たれたもの(カレル・チャペックの本)から
一読されると面白いと思います。
柿の木も新葉の季節。
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