エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

草木と庭と猫と…本や日常のあれこれ、小さな発見

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今夏、詩人エミリー・ディキンスンの伝記映画を岩波で上映-『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 

 

 

 

アメリカの女流詩人といえば、エミリー・ディキンスン。

19世紀に無名の生涯を送り、没後見つかった大量の詩篇から

類まれなる才能を評価されるようになった。

今では、彼女の詩の数々が、

多くの人を(私もその一人だが)惹きつけてやまない。

ほぼ、屋敷に引きこもった生活であったため、

生涯は謎めいていたが、

ついにその伝記映画 "A Quiet Passion" が公開された。

 

昨年2016年、ベルリン国際映画祭でプレミア上映され、

その後、トロント国際映画祭、そして一般公開へと順次予定。

 

日本では、今年の夏7月から9月にかけて

岩波ホールで上映の予定という。

 

原題は、"A Quiet Passion"  

邦題『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 

トレーラー(英語)


A QUIET PASSION Trailer | Festival 2016

 

エミリーを演じるのは、シンシア・ニクソン

人気ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のミランダ役で有名。

他に、ジェニファー・イーリー

BBCドラマ『高慢と偏見』映画『英国王のスピーチ』など。

キース・キャラダイン、エマ・ベル(子供時代)、ダンカン・ダフ

 

監督は、テレンス・ディヴィス

『遠い声、静かな暮らし』『愛情は深い海の如く』

 

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 (配給会社:ミモザフィルムさんhttp://www.mimosafilms.com/lineup/index.htmlより)

 

このブログでは、絵本の紹介でディキンスンについて、書きましたが、

 

www.salon-shiroineko.com

 

書のブログではその詩を度々取り上げています。

エミリー・ディキンソン カテゴリーの記事一覧 - Everyday Magic-筆に想いを

 

 

今、知って頂くには、この辺りがいいかな…(一部転載)

 

一つの心が壊れるのをとめられるなら

わたしの人生だって無駄ではないだろう

一つのいのちの痛みを癒せるなら

一つの苦しみを静められるなら

 

一羽の弱ったコマツグミを

もう一度、巣に戻してやれるなら

わたしの人生だって無駄ではないだろう

               

If I can stop one Heart from breaking

I shall not live vain

If I can ease one Life the Aching

Or cool one Pain

 

Or help one fainting Robin

Unto his nest again

I shall not live vain.   (J‐919・f‐982)

 

 

そういえば、東日本大震災のあと、 

新聞(天声人語)に引用されたという詩があって、 

それは、ディキンスンの4行詩だった。

 

失意の胸へは

だれも踏み入ってはならない

 自身が悩み苦しんだという

よほどの特権を持たずしては―― 中島完訳

 

Unto a broken heart

No other one may go

Without the high prerogative

Itself hath suffered too       ( f-1745  J-1704)

 

生涯、表舞台にでることなく、ひっそりと 

詩作を続けていたエミリ・ディキンスン。

 

彼女の言葉は、 

そっと、ただ寄り添ってくれるかのように 

時に、人を癒してくれるように感じる。

 

ディキンスンの詩集で、手頃なのは、岩波文庫になるだろうが、

 

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 

 

単行本でもいろいろ出ているので、探してみるといいだろう。

ちなみに、上に引用した詩(中島完訳)は国文社刊になるだろうか。

 

私の好きな詩人エミリー・ディキンスンの

伝記映画が公開予定ということで、

どんな作品だろうかと想う。

 

19世紀といえば、以前、これはイギリスの作品だが

高慢と偏見』についても書いたことがある。

 

www.salon-shiroineko.com

 

 

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『すべてきみに宛てた手紙』-長田弘さんより

 

今年は、春になるかという頃に

真冬ほどではないが、まだまだ寒い。

 

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 ボケ(木瓜)の花芽がふくらんでいる

 

 

 

 

昨日のブログで

何かを終わらせるのが不得手なほうと書いたが、

その後たまたま、本をパラパラ拾い読みしていて、

何かを始めることより、やめるということに

着眼点をおいた文章が目にとまった。

 

 はじまりというのは、何かをはじめること。そう考えるのがほんとうは順序なのかもしれません。しかし、実際はちがうと思うのです。はじまりというのは、何かをはじめるということよりも、つねに何かをやめるということが、いつも何かのはじまりだと思えるからです。

 

 わたしの場合、子どものときから、はじめたことよりも、やめたことのほうが、人生というものの節目、区切り目として、濃い影のように、心の中にのこっています。

 すぐに呼吸がくるしくなって、どうしても全力で走れずに、走るのをやめ、はじめて、最後にゴールするには、とんでもない勇気が必要だと知ったのは、少年のある日です。 (中略)

 不器用で、ギターもフルートも覚えるまえにあきらめ、それきり楽器をまなぶのをやめています。好きだったのは山歩きで、とりわけ山々の尾根をたどって歩くのが好きだったけれども、身体を壊して、山に登るのをやめた。

 

 

これは、詩人長田弘さんの『すべて君に宛てた手紙』の

最初の手紙です。

 

すべてきみに宛てた手紙

すべてきみに宛てた手紙

 

 

  ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。

 煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事となりました。——読むこと。聴くこと。そして、書くこと。

 物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。

 

物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにある…

 

そうかもしれない。

ちょうど今は、周りや、他ならぬ自分自身の

新しいことがいろいろ始まりつつあるのだけれど、

何かすっきりしなくて(季節の変わり目のように)ね。

 

実は既にもう終わっていること、やめたことなど

私の場合は、多少ひきずっていたりするので

よけい瓦礫が増えるんだろうな(笑)

 

"結局やめなかったことが、わたしの人生の仕事となりました"

という言葉が響く。

 

私の場合は、やめたけれど、

やはりまた始めるということも加わりそうだ。

また、細々と続いていれば、やめてないわけか。

 

昨夜は満月だったし、下弦に向かいつつ

来週は春分の日という

大きな切り替えの節目でもある。

ようやく、いらないものは片付けようと

いう気になってきた。

 

本の後記にこんなくだりもありました。

 

 書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならない存在に変えてゆくことです。

 この本に収められた手紙としてのエッセーは、いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書かれました。手紙というかたちがそなえる親しみをもった言葉のあり方を、あらためて「きみ」とわたしのあいだにとりもどしたいというのがその動機でした。これらの言葉の宛て先である「きみ」が、あなたであればうれしいと思います。

 

新聞や雑誌などに掲載されたエッセイが

まとめられた長田弘さんからの手紙。

含蓄ある言葉が、タイミングよく届くものだ。

 

 

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春先に、斑入りヤブランの切り戻し-新芽を迎える刈り込み

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ようやく、庭の日本水仙が咲き出した

 

風が冷たく、まだ寒い。

それでも庭では芽吹きなどの日々変化。

 

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カイドウ(海棠)の花芽

 

 

オリヅルランのような 

細い斑入りの葉が、風に揺れる姿も爽やかで

風情のある、斑入りヤブラン

 

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葉だけでも美しいが

秋には花穂が上がってそれも綺麗。

 

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いつも気づくのが遅いが、黒っぽい実もつく。

 

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我が家の斑入りヤブランは庭の中央で、対になって植えられ、

たぶん、というのは、

園芸好きだった父がそうしたのだろうけれど

今となっては聞くよしもなし。

長い間、美しい葉と花を楽しませてくれています。

 

 

 

 

今日は、斑入りヤブランの刈り込みをしました。 

 

以前から、あたりまえのように、そこにあって

ほとんど植えっぱなし状態でしたが、

数年前に、春先に刈り込むことで、

新しい葉を綺麗に更新出来る、と知りました。

 

写真は以前の時のものですが、

こんなふうに、思い切って綺麗さっぱりと(笑) 

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もう少しすると、新しい芽が出てきますので、

今季は、新芽が出る前の時期にしました。

ということで、新芽を傷つけることなく、ばっさり

新しい刈り込みバサミも使ってみることも出来て

あっというまに。

いわば、新芽を迎える刈り込みですね。

 

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 4月初め

 

 

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4月末頃

 

どちらかといえば

潔く物事を切り替えたり、終わらせるのが不得手で、

これを見ていると

すっきりと、新しいものを迎えるには、

思いきって古いものを手放すのも一考だなぁと

つくづく感じるのであった。

  

 

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各々止むなき表現をなせ-宮沢賢治の言葉

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 2011年に一緒にいたのは先代たちだったけな…

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  宮澤賢治は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はありえない」と記しました。私は「世界ぜんたい」とは、人間のみを指すのではないと思います。人間を含めたこの世界全体が幸せになることを、賢治さんは願っていたはずです。またそう考えなければ、この地球という星を守ることはできないところにまで私たちは追い詰められてしまったと思います。

 賢治さんは続けてこう記しています。「個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ」。

 たまたま原子力の世界に入ってしまった私は、なんとか原発を止めるために自分が持っている力を出し尽くします。みなさんも、それぞれが取り組んでいる場所で、それぞれの力を発揮してください。

 私たち誰もがそれぞれに「止むなき表現」をする場所があるはずです。

           京大原子炉実験所助教 小出裕章さん講演より

 

小出氏が、脱原発についてご尽力されていらしたことは、

皆さまもご存じでしょう。

「これ以上のエネルギー消費拡大は犯罪 

原発がすべて止まっても決して停電は起きない」

という題で、東日本大震災の後、講演されたんですね。

 

当時は、この小出先生の講演の全文が掲載されていました。

この記事は、その頃、他のブログに載せたものから

拾っています。

 

 

 

 

今日は、家族が休みだったので、買い物に出たりして

いろいろやっていて、もう夜になり

ブログをお休みしようと思ったのですが、

この言葉だけでも転記しておこうと思いました。

 

“個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ”

私には、この言葉、結構、心に響きます。

 

この文は、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』

農民芸術の産者という段にあります。

青空文庫でご覧になれます)

そして、最初の

「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はありえない」

 は、序論にある言葉です。

 

ちなみに、本ではこちらにも収録されているようです。

宮沢賢治全集〈10〉 (ちくま文庫)

宮沢賢治全集〈10〉 (ちくま文庫)

 

 

ささやかな祈りと共に、あらためて

あたりまえの日常を送れることに感謝します。

 

 

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冬眠ならぬ春眠-『整体かれんだー』片山洋次郎氏

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日が差すと暖かく感じるが、

何だかまだ寒い。

それでも、庭では

草木はそれなりに伸びてきている。

 

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 プリムローズ 

 

 人間は「冬眠」しない動物ですが、その代わり「春眠」するのではないか、と思うことがあります。2月からはじまる「春」は、骨盤、頭、肩胛骨など、身体の右側のゆるみとして最初に現れ、次にゆるみにくい左側、さらに再び右側と、交互にテンションを下げながら脱力化を進行させます。
 左右がそろい、全身がゆるみきったところで、身体をだるく感じたり、やけに眠かったりするんですね。これが「春眠暁を覚えず」という、身体のお休みモードです。  

            片山洋次郎 『整体かれんだー

 

片山洋次郎さんによる 

副題が、"旬な身体になる"という本。

文庫になっていました。

 

整体かれんだー―旬な身体になる (文春文庫)

整体かれんだー―旬な身体になる (文春文庫)

 

 

 

 

 

虫が這い出すという啓蟄も過ぎて

3月も半ばに向かい、春へと加速中。

 

身体的には、春先は浄化の時期とは

知っていましたが、

感じていたように

ちょっとだるかったり、

ぼんやりしがちな時期

でもあるというのは、

なるほど、こういうことだったんですね。

 

“身がまま”整体をいろいろ本で紹介されている

片山洋次郎氏の『整体かれんだー』のコラムにあります

春の身体、から。

 

身体の本質的なリズムに沿って

一年も2月はじまりで、旬な身体になれるよう

月々ごとに、わかりやすく、具体的な

実際の手入れ(対処法)を教えてくれます。

 

現代的なカレンダーでいくと

一般的な生活上も、春は始まりの季節とされていますが

身体的には、お休み=調整モード、

いろいろ終わらせるのに適しているというのは

感得、納得といったところかも。

 

 春は体内にためこんだよけいなものを排泄する、整理・大掃除の時季と考えるとよいでしょう。激しいともいえる変動の中で、身体のバランスをうまくリセットできれば、春・夏モードに入った時に、その人に備わっている本来の元気が発揮されやすくなります。

 

何か特定の疾患とかの原因でなければ、

好不調の波というのも、季節に合わせて

身体自ら上手にバランスを取り直しているともいえ、

その賢明な身体に従うなり、言うことをきいて

休むなり、ペースを落とすなりして調整に参加するのも

大事なことだと思える一冊です。

 

人間以外の動物は、シンプルに生きているようだが、

私たちヒトだけが、頭と身体がバラバラになりやすく

頭で情報をかき集めて、右往左往してしまったりする。

実は、基本的な情報は自らの身体がシンプルに

教えていてくれるのかもしれないですね。

 

以前、他にも、著者の本について載せています。 

 

www.salon-shiroineko.com

  

www.salon-shiroineko.com 

 

 

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