エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

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普通であることの勇気-『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』

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アドラー心理学が大切にしているのが、「普通であることの勇気」という言葉です。

(普通であることの、勇気……?)

 なぜ「特別」になる必要があるのか? それは「普通の自分」が受け入れられないからでしょう。だからこそ、「特別によくある」ことがくじかれたとき、「特別に悪くある」ことへと極端な飛躍をしてしまうのです。
 しかし、普通であること、平凡であることは、ほんとうによくないことなのか。なにか劣ったことなのか。じつは誰もが普通なのではないか。そこを突き詰めて考える必要があります。

(……先生は、わたしに「普通」であれ、と?)

 自己受容は、その重要な一歩です。もし、あなたが「普通であることの勇気」を持つことができたなら、世界の見え方は一変するはずです。

(で、ですが……。)

 普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。普通であることとは、無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。

(P261)

 

 

前回、先に続刊『幸せになる勇気』を取り上げましたが、その前著

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』からです。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

対話形式で書かれ、

アドラー心理学の神髄がわかりやすく説かれています。

気にとまったり、響く箇所は人それぞれでしょうが、

自身で、いくつか、いくつも?あった抜粋箇所の一つが、

“普通であることの勇気”

 

 


本のタイトルである、“嫌われる勇気”については、

以下のあたりに述べられてある所以でしょうか。

 

いいですか、われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。他者の期待など、満たす必要はないのです。   (P135)

対人関係のベースに「見返り」があると、自分はこんなに与えたのだから、あなたもこれだけ返してくれ、という気持ちが湧き上がってきます。もちろんこれは、課題の分離とは、かけ離れた発想です。われわれは見返りを求めてもいけないし、そこに縛られてもいけません。  (P154)

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。     (P163)

 

本で、段階を追って導かれ、

うまく説明されているアドラー心理学の深い内容については

興味を持たれた方が、この著書を読まれるのが何よりでしょう。

 

行動面の目標が、次の2つ。
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
 
そして、この行動を支える心理面の目標として、次の2つ。
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識  (P110) 

 

まあ、アドラーさんの教えの本ということで

普通という言葉についてや、

今の社会の方がおかしいのでは、というような

つっこみは、さておき、としてですね。


本の最初の方で示された根本的な課題に向かう勇気も、

示唆に富んだ哲学的な考え方、在り方に発展していくにつれ、

視野というか見方が広がっていくと共に、

じわじわと伝わってくる感じです。

 

ここ数カ月、旧他ブログの整理もしていて

この本については、続けてまだ書いたものがあるので、

それも転記しようと思います。

 

4月になりましたが、今日は、7度くらい

寒くて真冬のようです。

明日からは、晴れて、だんだん暖かくなって

いくのでしょうか。

 

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『幸せになる勇気』-アドラーの教えⅡ

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話題のベストセラーとなった

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』の

 続刊が

『幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』です。

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

アドラー心理学の教えを、わかりやすい問答形式の物語で

伝えた前著のおさらいもしつつ、より実践的に使えるように

書かれた(前著が「地図」なら、こちらは「コンパス」との喩え)

と巻末にもあります。


前著より、教育の場での実践について、

辛辣に食い下がる青年の問いに、

ひるむことなく、真実(青年自身の問題)を看破してみせ、

アドラーの教えを述べていく哲人。

今回も示唆にとんだ内容です。

 

読者それぞれで、得るものもそれぞれだと思いますが、

私がまず、なるほどなぁと感じた個所は

カウンセリングについて、相談者にありがちなスタイルを

三角柱に書かれた側面を示したくだり。

 

哲人 この三角柱は、われわれの心を表しています。いま、あなたの座っている位置からは、三つある側面のうち二面だけが見えるはずです。 それぞれの面になんと書かれていますか?

青年 一面には「悪いあの人」。 もう一面には「かわいそうなわたし」と。

    (中略)哲人によると、思い悩んだ人間が訴えるのは、けっきょくこのいずれかなのだという。そして、哲人は――最後の一面に書かれた言葉を提示した。――

哲人 さあ、声に出して。

青年 ……「これからどうするか」

 

アドラー心理学は、今ここを大事にするものであり、

カウンセリングの捉え方も、「治療」でなく、「再教育」とありました。

いろいろと興味深い話が続くのですが、

今回は最終的に、「幸せ」について、「愛するということ」に導かれていて、

同じ題の名著『愛するということ』を記した

同時代の社会学エーリヒ・フロムの言葉も

しばし引用されています。

 

 

 

愛するということ

愛するということ

 

 

ちなみに、フロムは、『自由からの逃走』で知られていて、

以前、こちらのブログでも触れています。

 

www.salon-shiroineko.com

 

さて、本書に戻ります。

 

哲人 「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。 それは依存です。 一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。 これを「自立」 と呼びます。 幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。 あなたの価値を決めるのは、ほかの誰かではないのです。

青年 そんなもの不可能でしょう! われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認を必要としているのですよ! 

哲人 おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう。ありのままでいいのです。「特別」な存在にならずとも、優れていなくとも、あなたの居場所はそこにあります。…

 

「その他大勢」という言葉にまた、立腹して、

青年は延々と反論するのですが、

それはまたお読みいただくとして、興味を持ったら、

前著に続き、一読すると気づきのある一冊だと思います。

 

でも、まあ、上に挙げた‘’普通であることの勇気” とか

振り返るにしても、まずは前作がお薦めですね。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

3月も過ぎようとしていますが、

冷たい雨が降ってきて、冬のような寒さ。

 

季節の移ろいのはざまではないけれど

私も、このところ、新旧取り混ぜてというか、

行きつ戻りつ、進む感じ。

3月は、期せずして、どんどん

新しいことが始まりながらも、一方で

古いものの整理なども、やってたりする(笑)

ブログの更新も、合間にやっとだね。

それにしても、日にちがたつのが早いです。

 

 

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闇でなく光を恐れる私たち-『奇跡のコース』とネルソン・マンデラ氏

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 ラナンキュラス(八重)

 

前回の『失われた自己をもとめて』など

以前のブログで書いた本の記事を転載して、

そのつながりで、もう一つ書いた記事も載せておきます。

 

www.salon-shiroineko.com

 

www.salon-shiroineko.com

 

 6年ほど前に、ネットで、

なぜか、ネルソン・マンデラ氏の演説として流布した

(実際は、マンデラ氏の演説でなかったものの)

胸を打つ文章がありました。 ~以下~


実は、これはマンデラ氏の演説ではなかった、ものの

なぜか、そういうことで流布したという。

いずれにせよ、多くの人の目に触れる価値が

あったということでしょうか。

 

 我々が最も恐れているもの、
 それは自分が無力だということではない。
 我々が最も恐れているもの、
 それは、自分には計り知れない力がある、ということだ。
 我々が恐れるもの、それはわれわれの光であって、闇ではない。
 我々は自分に問いかける。
 自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろう
 はずがないではないか?
 だが、そうであってはなぜいけない?
 あなたは神の子である。
 あなたが遠慮をしても世界の役には立たない。
 周りの人が気後れしないようにとあなたが身を縮めることは何の
 美徳でもない。
 我々は、自らの内にある神の栄光を現すために生まれてきたのだ。
 そしてそれは限られた人々のものではなく、すべての人の内にある!
 我々が自らの内にある光を輝かせるとき、
 無意識のうちに他者に対しても同様のことを許している。
 我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、
 我々の存在は同時に他者をも解放する。 

 

先日の「自由からの逃走 」ではありませんが、

闇でなく光を恐れる

これも逆説的真理ですね。

 

“A Course in Miracles” (※「奇跡の学習コース」その後、訳出されました)

という中にあったものに基づいた内容らしく、その経緯は

『愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」』太陽出版の

あとがきに述べられています。

(※実は、マリアン・ウィリアムソンさんの文章だったということです)

 

愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」

愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」

 

  

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さて、ネルソン・マンデラ氏を扱った映画「インビクタス」があり

これは“Invictus”ラテン語らしく“破れざる”ものという言葉

これについて見ていくと

実際に、マンデラ氏が、獄中自身の支えとしていたという

同名の詩がありました。

 

 私を覆う漆黒の夜
 鉄格子にひそむ奈落の闇
 私はあらゆる神に感謝する
 我が魂が征服されぬことを

 無惨な状況においてさえ
 私はひるみも叫びもしなかった
 運命に打ちのめされ
 血を流しても
 決して屈服はしない

 激しい怒りと涙の彼方に
 恐ろしい死が浮かび上がる
 だが、長きにわたる脅しを受けてなお
 私は何ひとつ恐れはしない

 門がいかに狭かろうと
 いかなる罰に苦しめられようと
 私が我が運命の支配者
 私が我が魂の指揮官なのだ

 

イギリス19世紀の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩

なるほど、先の内容とテーマはつながりありますね。

 

私は、英文学にも興味がありますので、蛇足ながら

この詩人は、ロバート・L・スティーブンソンの友人だったらしく

ティーブンソンが書いた名作「宝島」の片足の海賊ジョン・シルバーは

このウィリアム・アーネスト・ヘンリーがモデルだったとか…

 

また、クリント・イーストウッド監督が映画のタイトルを

ヒューマン・ファクター」から「インビクタス」に変更したとか

前者「ヒューマン・ファクター(ハヤカワepi文庫)」は

グレアム・グリーンの小説タイトルですもんね…

芋づる式に興味は尽きませんが

長くなりますから…(笑)     ~以上~


長い内容ながら、自分でも読み返して、

あらためて、自分自身であるという勇気を持とうと思います。


ところで、今日は新月

昨日の朝は、雪が降ったり、

日が陰ると寒いですが、

着実に新しい季節と流れに移ろっているようですね。

 

 

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『失われし自己をもとめて』-ロロ・メイ

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今日は、また本に戻ります。

以前紹介した本『自由からの逃走』のタイトル(内容も)に

関連して載せたかったものです。

 

www.salon-shiroineko.com

 

精神家医であったロロ・メイの名著『失われし自己をもとめて』

原題は“MAN'S SEARCH FOR HIMSELF”(1953年)

 

失われし自己をもとめて

失われし自己をもとめて

 

 

本の中に“自己になりきる勇気”という箇所があります。

 

 ここでいう勇気とは、
 ある人が自らの自由を達成しようとするとき
 生じてくる不安に遭遇できる能力である。
 勇気とは、親への依存という保護領域から分離し、
 自由と統合の新しいレベルへ進んで移ってゆく勇気である。
  (中略)
 勇気の反対物は臆病ではなくて、
 それはむしろ勇気の欠如態である。
 ある人が臆病というのは、
 その人間がなまけ者であるというのと同じ意味である。
 それは簡単にいうと、
 私たちのもつ生き生きした潜在力が実現されないか、
 あるいは阻止されている状況を示している。
 私たちが
 現代という特殊な時代のかかえている問題を
 解決しようとするとき、
 勇気の反対物は、自動機械的順応性である。 

 

うーん、臆病というのはなまけ者・・(汗)

生き生きとした潜在力が実現されていない・・

自動機械的順応性・・今でも多々ありそうですが

これが、まずいわけですよね。 

 

 

 

そして外面的には宗教裁判に妥協したガリレオ

「それでも地球は回っている…」と密かに述べたという話を引いて

 

 内的自由を保持し、新しい領域への内なる旅を続けることは、
 外的自由を求めて挑戦的に立ち向かうより、
 はるかに勇気のいる仕事である。
 戦争で無鉄砲になることと同じく、
 殉教者になることはしばしばよりたやすいことである。
 不思議に聞こえるかもしれないが、
 自由のなかで着実に辛抱強く成長してゆくことは、
 おそらく、すべてのなかで最も難しい仕事であり、
 最も大きな勇気を必要とするものである。このように、
 いやしくもここで「英雄」ということばを使うとすれば、
 それは傑出した人物の特別の行為についていうのではなく、
 あらゆる人のなかにひそんでいる英雄的要素のことをいうのである。

 

思い出したのがエミリ・ディキンソンの詩の一節

 

大声をあげて戦うことは、とても勇ましい
だけど思う、さらに雄々しいのは、
心の中で突撃をする
悲哀の騎兵隊・・・

   To fight aloud, is very brave
    But gallanter, I know
    Who charge witiin the bosom
    The Cavalry of Woe 
     対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 

ところで、最後の方でロロ・メイは

 ”連関のあるそれぞれの瞬間を、正直に、誠実に、勇気と愛をもって
 生きることである。”

と述べています。

 

前回のE・フロムの本に続いて書いた旧ブログからの記事より

今、読んでも、示唆に富んだ書物を紹介したかったのでリライト。

もっとも、ロロ・メイの本は、絶版のようですね。

 

”あらゆる人間にとって、最大の快感は、

 自己の潜在能力を開花させることである 。”

 

臆せず、新しいことにもオープンでいたい春。

 

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ユーハイムのカスタードプリンシュー

 

 

 

ちょうど先週の金曜から

昨日まで、この一週間というもの、

予定していたことの他にも

期せずしての新しい展開もあって

私としては、めまぐるしく過ぎたほう。

 

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斑入りアジサイ 恋路が浜の新葉全体 

 

今はほんとうに変化も早いですね。

 

今日はようやく一息ついた感もあるが

ちょうどこれまでは、何とか時間もとって

勢いで続けていたブログもひと息ついたようだ(笑)

ちょっと生活の優先順位が変わって

まあ、これからは、ぽちぽちでも

更新出来ればいいかなぁ。

 

さて、今日はお菓子の話。

 

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ユーハイムのプリンシュー

しっかりさっくりした皮の中のクリームには

カラメルが入って、その下にプリンがある。

 

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シュークリームとプリン好きには、たっぷりした味わい 

 

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割と近所では、

春分の日に閉店した千葉三越ユーハイム

扱っていたケーキだった。

まあ、他に行けばまた味わえるのだろうけれど

その後、閉店前に、ショートケーキも頂いて、それも

ユーハイムらしく、シンプルな美味しさがよかった。

 

www.juchheim.co.jp

 

ロングセラーの純白の王冠

フランクフルタ―クランツというケーキもあるが

ユーハイムの信条の

"まっすぐなおいしさ"というのがなかなかいい。

 

(これは、お菓子に入っていたリーフレットからだったか?…

 書き抜いてたものから)

 

ドイツ菓子の伝統は、材料の持ち味を最大限に引き出した

「自然の風味」

「ホンモノであること」と「余計なものを加えないこと」が

当社の菓子作りの基本です。

 

これって、私の好みとしては、理想のモノづくりの在り方でもある。

 

「限りなく安全・安心で、限りなく美味しく、限りなく新鮮で価値のあるお菓子」を召し上がっていただくことが、ユーハイムの願いです。

ということで、

別にユーハイムの宣伝をしているわけでないのだけれど

ほんと、今の時代

安全・安心の食材を志してくれるのは

何より大切だと思うのでした。

 

 

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