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エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

草木と庭と猫と…本や日常のあれこれ、小さな発見

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『失われし自己をもとめて』-ロロ・メイ

 

 

 

 

今日は、また本に戻ります。

以前紹介した本『自由からの逃走』のタイトル(内容も)に

関連して載せたかったものです。

 

www.salon-shiroineko.com

 

精神家医であったロロ・メイの名著『失われし自己をもとめて』

原題は“MAN'S SEARCH FOR HIMSELF”(1953年)

 

失われし自己をもとめて

失われし自己をもとめて

 

 

本の中に“自己になりきる勇気”という箇所があります。

 

 ここでいう勇気とは、
 ある人が自らの自由を達成しようとするとき
 生じてくる不安に遭遇できる能力である。
 勇気とは、親への依存という保護領域から分離し、
 自由と統合の新しいレベルへ進んで移ってゆく勇気である。
  (中略)
 勇気の反対物は臆病ではなくて、
 それはむしろ勇気の欠如態である。
 ある人が臆病というのは、
 その人間がなまけ者であるというのと同じ意味である。
 それは簡単にいうと、
 私たちのもつ生き生きした潜在力が実現されないか、
 あるいは阻止されている状況を示している。
 私たちが
 現代という特殊な時代のかかえている問題を
 解決しようとするとき、
 勇気の反対物は、自動機械的順応性である。 

 

うーん、臆病というのはなまけ者・・(汗)

生き生きとした潜在力が実現されていない・・

自動機械的順応性・・今でも多々ありそうですが

これが、まずいわけですよね。

 

そして外面的には宗教裁判に妥協したガリレオ

「それでも地球は回っている…」と密かに述べたという話を引いて

 

 内的自由を保持し、新しい領域への内なる旅を続けることは、
 外的自由を求めて挑戦的に立ち向かうより、
 はるかに勇気のいる仕事である。
 戦争で無鉄砲になることと同じく、
 殉教者になることはしばしばよりたやすいことである。
 不思議に聞こえるかもしれないが、
 自由のなかで着実に辛抱強く成長してゆくことは、
 おそらく、すべてのなかで最も難しい仕事であり、
 最も大きな勇気を必要とするものである。このように、
 いやしくもここで「英雄」ということばを使うとすれば、
 それは傑出した人物の特別の行為についていうのではなく、
 あらゆる人のなかにひそんでいる英雄的要素のことをいうのである。

 

思い出したのがエミリ・ディキンソンの詩の一節

 

大声をあげて戦うことは、とても勇ましい
だけど思う、さらに雄々しいのは、
心の中で突撃をする
悲哀の騎兵隊・・・

   To fight aloud, is very brave
    But gallanter, I know
    Who charge witiin the bosom
    The Cavalry of Woe 
     対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 

ところで、最後の方でロロ・メイは

 ”連関のあるそれぞれの瞬間を、正直に、誠実に、勇気と愛をもって
 生きることである。”

と述べています。

 

前回のE・フロムの本に続いて書いた旧ブログからの記事より

今、読んでも、示唆に富んだ書物を紹介したかったのでリライト。

もっとも、ロロ・メイの本は、絶版のようですね。

 

”あらゆる人間にとって、最大の快感は、

 自己の潜在能力を開花させることである 。”

 

臆せず、新しいことにもオープンでいたい春。

 

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