エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ

草木と庭と猫と…本や日常のあれこれ、小さな発見

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情熱を取り戻すということ-音楽をめぐる断想

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(カラー糸のレース編みドイリー

 

 

感動するというのも含め、

結局、人や物事を動かすのは

情熱だと思う。

才能や才覚といったものがあれば

それにこしたことはないだろうが

どれだけ、夢中になれるかが

大きいように思う。

 

表向きは特に平穏に見えても

何かしらあるのも人生で

あまりに日常的にストレスがかかる状態が続くと

体調やメンタル的にも響いていて

何かに熱くなれるというような情熱も

失われかねない。

 

そうした時期の、私の場合の救世主は

たぶん、庭の草花などや鳥や昆虫、

猫たちなどの動物といった身近な自然だった。

それから、アートや音楽であり、

そして数年前には、久しぶりにDVDや娯楽映画などをまた

楽しめるようになったが、この夏は、音楽が復活したようだ。

松岡直也グループ様さまである(笑)

 

www.salon-shiroineko.com

 

 

要は、今の時代

ユーチューブなどで、以前は見ることの叶わなかった

アーティストの演奏やライブ映像などを

手軽に沢山見聴きできることは大きい。

 

子供の頃の童謡から、

当時のグループサウンズや歌謡曲、クラシックに始まり

10代から20代の頃に夢中になっていたロックやポップス、

30代、40代で好きになったジャズやワールドミュージック…。

今や気づけば、50代後半だけれど、

かつてのグループの演奏や動向、そして

新しい曲やアーティストを知ることができるのも新鮮だ。

 

少し前では、ドコモのCMに起用されていた

クロアチア出身のイケメンデュオのチェロ奏者、

2CHELLOS(トゥー・チェロズ)の演奏に

イケてるじゃんと、ロック気分を思い出した(笑)

 

今夏は、4年前に他界した松岡直也氏のピアノによる

ラテンフュージョン

あらためてツボにはまった。

後追いで、松岡直也グループのバンドメンバーも知り、

ウィシングからラストの頃までの時代にまたがる色々な演奏を

毎日聴いている。

やはり、特にライブがいい。

 

ミ・アモーレ

youtu.be

 

1989年の中野サンプラザのコンサートということで

皆さん、お若いですね、って

歳は皆一緒にとるから許せるよね(笑)

私はといえば、この頃、膝の大きな再手術をした後、

休職してた会社勤めを辞めたんだっけ…。

 

 

私が音楽のライブに行ったのは、遡って近いところで

2007年秋に行った和太鼓奏者の林英哲さんの演奏、

そして2008年春のアメリカの来日バンド、

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとシカゴのジョイントコンサート

だったから、それももう10年も前のことになる。

どちらも、家族がファンだったのだが、

ライブ(生)はやはり違う。

シカゴはライブバンドとも言われただけあって

これもすごくよかった。

そばの席にいらしたご夫婦の男性が

「あーもう、スゴイ、最高だよ、時よ止れ!!」ってくり返していて

きっとすごいファンなんだね、至福の波動がビシバシ伝わってきた。

私は、もともとブリティッシュロックが好きで、

特にファンというわけではなかったが

それでもノリに乗って一緒に絶叫したりもして(爆)楽しかった。

 

 

  

 

話が前後するが、

和太鼓もそうだけれど、ドラムやパーカッションも好き。

松岡さんの強烈なリズム感とラテンビート、

時に炸裂したり、哀愁を帯びるジャズピアノの音色もいい。

 

ピアノではケニー・バロンや大西順子さんなども良く聴いたけれど

返す返すも松岡氏が亡くなったのは惜しい。

最近は、バンドで知ったスーパーギタリストの和田アキラ氏や

大橋勇さんなどで、エレキサウンドもあらためて好きになった。

ロックを聴いてたわりに、疎かったな。

松岡さんは、ラテンにはロックギターが合うと

当時、若手を積極的に起用したらしいが、

今やアキラさんもご年配の域だ…

って私よりちょっと上くらいなんですけどね(;'∀')

 

ソロのパートの聴きごたえはもちろん

バンドの面白さ、楽しさは各楽器の掛け合いにある。

ラテンのせいもあるだろうが、すごく楽しめる。

ビデオのおかげで、興味は尽きない。

 

ところで、

アラフィー(50才前後)の次は、

ラカン(還暦前後)というらしいが

期せずして、この頃にまた

一巡して戻ってくる想いや熱意などもあるのかもしれない。

 

ちなみに、あのマドンナも早や

還暦だそうだが、ツィッターでカウントダウンしてたらしい。

またシンディ・ローパーも好きだったが、

彼女は少し上の年齢になるが、誕生日が同じかも(笑)

 

さて、ユーチューブで興味の向くまま聴いていたら

懐かしいものから、自分にとっては初めて聴くものまで

どんどん広がっていく。

ライブなんてフルで見ていたら、時間がどんどん過ぎるし、

新しいものも聴きたい。

 

どうやらアラカンという世代にも入ると気づいて(笑)

これからは特に、やりたいことを優先していこうと

思いを新たにしています。 (今度こそ!ね)

 

 

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よみがえる楽譜と音楽-シベリウスの「樅(モミ)の木」、左手のピアニスト舘野泉氏

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台風一過ですが、21号は

かつての伊勢湾台風並みの強さとか

関西地方では甚大な被害だったようで

お見舞いと共に、少しでも早い回復をお祈りします。

 

9月に入りました。

今年は、夏の終わりから秋口にまた

久しぶりの音楽熱というか波がきて

いろいろ聴きながらも、思い出もちらほら…

ひと昔前の記事のリライトです。

 

~♪~♫ 

 

色々な楽器がありますが、かつては

身近なものといえばまず、ピアノでしょうか。

うちにも、長い間ピアノが置いてありましたが、

数年前、ついに手放すこととなりました。

いわゆる転勤族でしたから、一緒にあちこち旅したピアノでした。

最初に家に来て以来、30年以上たっていましたが、

いつしか弾くこともなく、調律もされず、

置物というか、物置(モノが載ってる)となりはて可哀想な状態でした。

 

両親が他界して、いろいろなものがしばらくそのまま残り、

何ともいえない(今なら“停滞”もしくは“凍結”したといえる)部屋でしたが、

思い切って様々なものを徐々に処分したり、新しく入れ替えました。


大物の一つがこのピアノでしたが、

海外で再生して使われるというリサイクルがあることを知り、

そちらに引き取ってもらうことにしたのです。


当日は親切な担当者が二人いらして、

ピアノを丁寧に毛布にくるみ、庭から運び出して行きました。

妹と二人でしんみり、

「ありがとう。外国で喜んで奏でてもらえますように…」。

トラックに積み込まれたピアノを見送りました。

 

昔のピアノ教本もほとんど処分しましたが、

そのまま残した輸入楽譜のコピーがありました。

私がピアノを習っていたのは中学生の僅かな時期でしたが、

その時、素適な曲を発表会用に先生が持って来てくれたのです。

 

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ロマン派のシベリウスによる『樹の組曲』でした。

中の一曲「樅の木」が、

横浜山手のイギリス館という洒落た洋館での発表会で弾いた

私の思い出の曲となりました。

小品ながら、唯一の誇れるレパートリーというところでしたが、

もはや暗譜もところどころあやしく、楽譜を見ても、

音階が広く音符をすぐ拾えない…。

 

近年になり、ピアノを演奏する友人と知り合いました。

ちょうど、彼女はちょっとしたミニコンサートで弾き始めるようになり、

レパートリーを増やしているということでした。

そんなある日、押し入れにしまい込まれた楽譜を思い出しました。

彼女に話してみると、楽譜を見たいといいます。

 

(この曲は、CDでは「アイノラのシベリウス」(舘野泉)、

「北の詩情-シベリウス:ピアノ小品集」(マリア・ヴィータサロ)等にも

入っています) 

 

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そしてこの秋、嬉しいことに、友人の素適な演奏で、

あのシベリウスの「樅の木」が聴かれます。

お近くの方、是非出かけてみてはいかがでしょうか♪

~♪~♫        (2006年10月 ミクシィ日記より) 

 

 

  

 

 

 

今となっては、私もそんなことあったんだという感じですが、

中学生の時は、確かクラスで歌のピアノ伴奏をしたこともあり、

またこのロマン派の曲「樅の木」もよく表現出来ていると褒められました。

当時は、参考になるレコードもほとんどありませんでしたが、

大人になって、CDで舘野泉さんの素適な演奏を聴き、

とても懐かしく感じました。

 

 シベリウス 「樅の木」


Jean SIBELIUS :The spruce, Izumi TATENO

 

シベリウスは、フィンランドの作曲家で

交響曲が知られていますが、こうした可憐なピアノ曲も書きました。

樹の組曲という5つの中では、ポピュラーなのが「樅の木」

3分ほどの短い曲ですが、

凛とした森林の空気感を漂わせる独特の世界観が垣間見れます。

 

また、舘野氏のCDでは、

かつてのアイノラのシベリウスが中古となり

シベリウスのピアノ小品集が

新しく出ていたのですね。

 

 

さて、素晴らしいピアニストの舘野泉さんは

1936年(昭和11年)生まれだそうですから、母と同じ歳だったのですね。

母は早く他界しましたが、今も舘野氏が御健在で

コンサートもなさっているのが嬉しいです。

2002年に演奏後に倒れ、右手が使えなくなったそうです。

その後、左手だけで演奏活動を再開されているのですが 

音楽が出来る喜びと琴線に触れるような響きが伝わる演奏です。

 

 

左手のためのノクターン

youtu.be

 

“音楽をするのに、手の一本も二本も関係はなかった”

 

“充足した音楽表現ができているのに

どうして不足など感じることがあろう”

 

映像の中では、

2004年のご著書『ひまわりの海』から引用されていましたが、

近年もまた本が出ているようです。

読んでみたいですね。

 

 

 

左手のピアニスト 「舘野泉80歳へのプロジェクト」

 

素晴らしいです。

  

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電話機(ファックス)を変えたら、ドアホンが聞こえなくなった件

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やや曇りがちで

気温も少し低めだと

ほっとします。

草ぼうぼうの裏側の庭の

草とり…なんてものじゃないな

文字通り、草むしりを3、40分ほど済ませた~。

午後から、日も差してきた…セーフ(笑)

 

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青色フジバカマが、ポツポツ咲いている

 

さて、近年

古いおたっくす(電話&ファックス機)の調子が変で

液晶画面の表示がおかしくなっていたが

切っているのに、突然画面に電源が入ったりしていたのが少し前。

電話は受けられたが、ついにボタンが押せない、

つまり、電話をかけられなくなって、

買い替えを迫られた。

 

今や、テレビや新聞と同じで(もうとっくに取っていない)

固定電話もいらないんでは?という話もあったが

古典的にファックスを使う場合があったのと

ナント、私がちょうど携帯を解約したところとあって

やはりまだ必要かも…と

安めの電話機もあるようで

量販店で見つけてきました。

 

家族が、簡単に設置し直して、

ちょうど、クリーンセンターへ行った日だったので

前のはさっさと処分…

ところが、である。

外でドアホンが鳴るのに

電話機で鳴らず、室内で聞こえない。

え~?

 

玄関子機を押してもピンポンと鳴りません(ドアホンが鳴らない) - 電話機

 (パナソニック、よくあるご質問)

 

調べたが、ドアホンには対応機種だし、

いくつかやり方もあるようだがよくわからない。

結局、エアコンだの大物家電でお世話になっている

なじみの地元の電気屋さんにお願いすることに。

しかし、この時期エアコンの設置に追われ、しばしお待ちを…とで、

ドアホンに「故障中」ではなんだから、「修理中」と

はがせるシールで表示しておいた。

 

冷房を入れない時は、窓全開なので

車が止まったりして来客がわかるのだが、

そうでないときもある。

宅急便の方々は、手間ながら、声をかけて

トントントンとドアを叩いてくれたが、

この一週間ほど、やはり不便でしたわね。

 

実は、前の電話機と共に配線(6芯ケーブル)を失くしたのが

原因ということで、(何やってんだか、私たち…)

昨日、電気屋さんに付け替えてもらって

ようやく鳴るようになりました。

 

 

  

 

よかったわ~

日々何事もなく、器械が作動しているって

ありがたいことなのですね。

前半は他にもいろいろあって、しみじみ…と。

 

さて、今度の電話機では

電話の呼び出し音を音楽に設定してみることに。

私は、くるみ割り人形でもいいかと思ったのだけど、

ちょっと速いテンポのパート部で、

急いで出なきゃと焦るのでやだ、と家族が却下。

で、カンタータ(主よ、人の望みの喜びよ)ですよ(*´∀`)

 

最近、しょっちゅう

パソコンでバンドのライブやらジャズだのかけまくっているもんで

ノリノリのラテンビートやジャズピアノが流れている部屋…

そこへ、突然鳴り響く悠長なカンタータ(音楽)が加わり、

え? 一瞬何事かと思いつつ、

あー、電話か…と思い出す次第。

そのうち、慣れるんでしょうか(笑)

 

ちなみに、アマゾンで人気のあったのはこちら

 

 

 親機もコードレスなのはこちら

 

 

 

今日の一枚  レース編みドイリー

 

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(40番レース糸 白   直径34㎝)

 

 

 

 

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さっさと戻って、その後、奥の部屋へ移動してお昼寝ちうzzz 

 

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猫がジャズピアニストからサインをもらった話-CD『ララの夢』岸ミツアキ氏

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部屋の片づけをするたびに思ったのは、

なぜか、本とCDが増殖している!

実際は、つまり

仕入れている人がいるんですけど

それが、もしかして私だったりして?

 

幾多の片付け作業を繰り返し、

本もCDも残した本棚に収まるだけと決め、

今ではだいぶ少なくなった…と思う。

今も聴いているCDの中には、

ちょっとした思い出のあるものも残っている。

例えば、これもそう…。

 

 

もう一週間程前になりますが、千葉ジャズストリートの催しで、

ジャズピアニスト岸ミツアキさんのライブを、友人と聴きに行きました。

彼のCDを聴き始めたのは、昨年の夏ごろでしたが、

暖かみのある美しい音色が何ともいえません。

今年に入って、家に来る音楽好きな友人がこぞって、

「今かかってるこのCDは何(誰)ですか?」と訊ねるので、

毎回「岸ミツアキの・・・」とメモしてあげました。

 

そのうち6月に入り、彼の新譜が出ると知り、

しかも私のこれまた好きなボサノバでという話。

早速アマゾンで取り寄せ、包みを開いてジャケットを見た私は

「ふっ・・ふう! ふうちゃんが載ってるー!?」

 

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岸さんの鍵盤を枕に寝ている猫・・・

ふうちゃんではなくて、

岸さんの愛猫ララちゃんでしたが・・・。

CDのタイトルはボッサでスイング「ララの夢」。

岸氏のところにはロシアンブルーの女の子が二匹居るという。

二匹のロシアンブルー・・・同じだ、うちはボーイズだが・・・。

増す親しみ・・・♪

 

更にたまたま、新譜を出した直後の舞浜のライブに友人が行くという。

「サインしてもらってくる・・・」と私のCDもライブに。

友人が気を利かせ、猫の話もしたことで、

何とサインはふうちゃんとみい君宛になったのでした。

サインをもらった猫たち。

(友人を通したので猫の名がカタカナになっているが、ほんとは平仮名)

 

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しかも、不思議なご縁は続き、その後また

友人を通して彼ら(ふう&みい)の写真を岸氏が見る機会が現われ、

ロシアンブルー好きの岸氏は喜んだそうです。

 

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そして又友人から、何と9月に千葉でライブがあると知ることに。

やや出不精気味な私も、

ライブの場所が英会話クラスと同じビルとあっては、

もう行かないわけにはいきません。

それでめでたく素適で楽しい(サービス精神旺盛の彼のMCと)

素晴らしい演奏ステージを、ほんとに間近で堪能。

勿論、今度は私も会えて、私へのサインも頂いた次第でした。

 

(2006年9月 猫をめぐって2 フー'ズ・ドリーム mixi日記より)

 

 

  

 

まあ、今考えても、当時は見事にシンクロ続きだったな。

岸ミツアキ氏は、 いくつもCDも出されていますが、

このボサノボテイストの曲を含むアルバムは

全編、とても優しい感じの聴きやすいナンバー揃い。

  

 

 

何とも、美しくて温かみの素晴らしい音色を

軽やかに奏でるジャズピアニスト岸氏による、

ボッサをあつかったスイングアルバム。

うちの猫もこんな愛らしい夢を見てまどろんでいるのかぁ…と

優しい気持ちにさせる素適な曲が並びます。

 

猫好きらしく、お茶目な岸さんの一面も(後半部)

愉しめるユーチューブを見つけたので貼っておきます。

 

youtu.be

 

近年のCDも、聴いてみたいな。

 

どうやら

ユーチューブでシェアされている

演奏をあちこち覗いているせいか

晩夏から秋にかけて

音楽熱、復活の兆しかな~♪

  

 

www.salon-shiroineko.com

 

  

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(40番レース糸 ペールピンク   直径23㎝)

  

 

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天才棋士の名言と姿、AⅠ×人間-『瞬間を生きる』羽生善治さん(撮影:岡村啓嗣氏)

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これまた、新刊コーナーで見かけて

手に取った一冊。

 

瞬間を生きる

瞬間を生きる

 

 

稀代の天才将士として知られる羽生善治さんの

これまでの歩みと共に語られた珠玉の言葉の数々と

デビュー当時からの姿を撮影してきた岡村啓嗣氏による

写真集ともなっています。

 

第一章は、疾走

デビューしてから名人を獲得するまでの頃

第二章は、練磨

七冠となってから谷川氏など先輩方との対戦を繰り返した二十代の頃

第三章は、死闘

同世代の強豪たちとの対戦

第四章は、泰然

台頭してきた若手との対戦なども含め、最近の日々

 

そして終章では

思考ーAⅠ×人間 の方向性についての見解が述べられている

 

直感を信じる

自然と湧き上がり、一瞬にして回路をつなげてしまうものを直感という。さらに、確信に結びつけることで、直感は初めて有効なものとなる。

 

少しずつ積み重ねることによって、

気がつけば着実に前進している。

自然にできることを続けていくという

健全さが必要なのだ。

 

 

宮城県に、東日本大震災の復興支援で訪れた際の写真には

進めたい、変えたいと思っても、

大きな流れの中では、

変えられないものもある。

どちらへ進めばいいかはわからない。

わからなくても、

どこかへ進むしかないのだ。

 

また、この後、同世代の挑戦者に苦戦を強いられた時には

 

羅針盤の利かない状況に身を置く

 時代の流れを読んで未来を切り拓いていく力を身につけるためには、できるだけ既成の羅針盤が利かないような状況に身を置くこと。常識や前例といった答えがない状況になれば、強制的に自力で考えざるを得なくなる。それまでの自分の経験以外には、直感とも言うべき自分自身の方位磁石を使わなければ何もできない場所に、あえて身を置いてみることが一番の方法ではないかと思う。

 

 その瞬間に集中する

 その瞬間に集中するときには、まるで初めてその場面を見たかのように考えることが必要だ。そうしないと、これまでの指し手の連続性や継続性の延長で考えてしまう。「さっきまではあんなに優勢だったのに」とか「あんなに駒があったのに」とか。そこでいくら考え後悔しても、そうしたことは今現在の局面とはまったく関係がなくなっている。むしろ、そこに拘泥することで状況の打開から遠ざかる。

 ミスをしたとき、私は切り替えて、「さぁ今から」と初めてのようにその場面を見る。そして何がベストなのかを考えることだけに集中していくことを大切にしている。

 

これまでとは違った物事が多く起こる今の時代には、

生き方としてもとても参考になる言葉が

たくさん響いてくる本だと思います。

 

分からないから踏み出せる、

見えないからこそ挑戦できる 

 

複雑な場面では、

簡単に考える

 

 

  

 

羽生氏がデビュー間もない頃に、小堀清一九段と対局した際、

その当時74歳の老将士の気力に不思議な想いを抱く。

その姿に長きにわたり続けてこられた原動力を感じ取る。

変わらずあるためには、

変わり続けなくてはならない

 

 

欠点を直すことに

一生懸命にならない

 欠点は長所の裏返しであることが多く、欠点をなくすようにすると長所まで消えてしまうことがある。短所も自分の能力の一部なのだから、無理に直すことで全体のバランスが崩れてしまう。自分のかたちに何か狂いが生じ、調子が落ちてしまう。

 

  

守ろう、守ろうとすると

後ろ向きになる

 同じ形を何度も繰り返していくと、自分のスタイルを狭い世界に押し込めてしまい、息苦しさを感じてしまう。新しい手を試すことで、可能性がどんどん広がるほうが楽しい。守りたければ攻めなければいけない。私は、自分の将棋は常にそうありたいと思っている。

 

ところで、羽生さんは

将棋を指す上で、美意識も尊重している。

最後に思考に関してAⅠ(人工知能)対人間の考察が

あるのだが、面白いのは

「AⅠの指す将棋に、美しさは感じられない」という。

人間の美意識は、感情に基づくもので、

本能のようなものかもしれないという。

AⅠには恐怖心がないためではないかとも。

 

しかしながら、

人間の視野は思考の幅は狭くなりがちで

それをカバーして思いもよらぬデータをもたらすのが

AⅠだともいう。

 

──最近は棋士もAⅠを使って分析し勉強することが主流になってきた。そうして起こった最近のトレンドは温故知新。

 AⅠは膨大な量のデータを残してくれるが、人間はその中から受け入れやすいもの、受け取りやすいものを取り入れていくことになる。そこで、今は流行っていないが、過去に存在して廃れてしまったような手がもう一度見直されることになった。 

 

また

現段階で、羽生さんが見てきた

人工知能と人間、それぞれの得手不得手についてなど

そして、それぞれの進化に伴うこれからの方向性、

天才棋士の目からみた話は、興味深いものがある。

 

 人の似顔絵を描くロボットの研究をしているコルトン先生という方がいる。

 (中略)

 ところがコルトン先生は自分は似顔絵を描くソフトはつくるが、詩を書くソフトはつくるつもりはないと言った。なぜかといえば、詩を書くという作業は、人が生きて生活をし、季節を感じ、そこで初めて作品として価値や意義を持つのだからと言う。

 たしかに技術的にはできるようになる。技術的にはできるが、それをやる意味や価値が本当にあるのかという問題は──。コルトン先生の研究はその命題を投げかける。

 

羽生氏は、

適応力のある人間が、多少融通の利かないところのあるAⅠに

寄り添っていくことになるといい、しかし

必要以上に寄り添わない覚悟が大事になるのではと結んでいた。 

 

 

 

羽生氏の名言と写真と共に、

人間と人工知能をめぐる話など

なかなか、興味深い一冊です。

 

 

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