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自然と共に働く道-『土・牛・微生物 文明の衰退を食い止める土の話』デイビッド・モントゴメリー

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新刊コーナーで目に留まった一冊。

 

土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話

土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話

 

 

ワシントン大学地形学教授である著者は、地質学者。

アメリカ全土、および世界各地を飛びまわって

不耕起栽培を実践する農家を取材し、科学的知見を加え、

土壌を回復させることによるこれからの農業について、

環境保全型農業への革命的な方法論が語られていきます。

 

原題は、“Growing a Revolution   Bringing Our Soil Back to Life”

邦題にある「土・牛・微生物」という語は

いわば土壌を再生させるためのキーワードともいえるもので

その前提は、「不耕起」栽培、そう耕さない農業ということ。

慣行農業の犂と耕作機をもって、田畑は耕すものという

固定観念を打ち破る農業革命ともいえるわけです。

 

 

その新たな道、

環境保全型農業は次のシンプルな三原則に成り立ちます。

 

①土壌の攪乱を最小限にする。

②被覆作物を栽培するか作物残渣を残して土壌が常に覆われているようにする。

③多様な作物を輪作する。

 

――われわれは、有益な土壌生物に対してもっと害の少ない農法を必要としていることだ。土壌の健康は、ありふれたミミズから特殊化した細菌、菌根菌、その他の微生物まで、土壌生物の上に成り立っているからだ。本質的にはこれが環境保全型農業のすべてだ――作物の成長を助け、土壌肥沃度を維持するために役立つことがわかっている多くの小さな生物を活性化させ、守るような農法だ。

 犂(すき)にあえて疑問を唱えるのは異端のように思われるかもしれないが、それを使うことは確実にメジャーリーグ級の土壌攪乱なのだ。だから不耕起への移行が環境保全型農業の中心にある。不耕起栽培は収穫できない作物部位――作物残滓――を土壌の覆いとして残す。これは、作物が収穫されたあと、トウモロコシの茎にしろコムギの茎にしろ、植物の残骸を取り除いたり焼いたりしないということだ。そうしたものは畑で分解し、地面に有機物のカーペット――マルチ――を作る。土壌微生物のバイオマスは、不耕起農法へ転換するとすぐに増加する。土壌動物相も同様だ。マルチを施した区画には細菌、菌類、ミミズ、線虫の個体数が多くなる。一方、ひんぱんに耕すと土壌生物のバイオマスが減少し、リンを植物に運ぶのを助ける菌根菌糸を阻害するなど悪影響がある。 

 

 

実際、これらの革命的ともいえる移行は

近代、奨励されてきた化学薬品と除草剤を使う繰り返しによって

よけいに土壌を疲弊させるだけという事実に気づいた

個人規模の農業現場で試され、成果をあげ、

草の根的に静かに広まりつつあるといいます。

土にたい肥など有機物を返し、被覆作物を植えることで

土壌にマルチを施し、雑草を抑制し

何より、土壌の微生物に有効に働いてもらう。

また牛を上手く放牧し、草を食べ、糞が土に戻りという

自然な農法が今となっては新しく環境保全の契機ともなりえるのです。

 

 有機物を使って肥沃な土を作る実証済みのやり方を私たちは再発見した。それは自然と共に働くという忘れかけた道へと、私たちを導くものだった。非常に驚いたことに、古代社会を崩壊させた土壌の劣化の逆転がまさに自宅の裏庭で進んでいたのだ。そしてそれは思った以上に急速に起きていた。都市部にあるわが家の土壌が変わっていくのをこの目で見た私は、土壌生物が土壌肥沃度を高めるための要であるだけでなく、それを使えば土壌を自然が行なうよりもっと速く回復させられることを確信した。これは私が大学で学んだこととは違っていた。

 

それは、教授(著者)が移り住んだシアトルで、

妻のアンが荒れ果てミミズもいない庭の花壇を

まるで農場のミニチュア版のように再生させたことに始まります。

 

――新しい花壇の土壌改良に使うマルチ(乾燥や侵食、雑草の発生を防ぐため、土壌の表面を被覆する資材。マルチング)と堆肥を作るため、アンがありとあらゆる有機物を家に運んでくるのに、私は辛抱強く耐えた。――数年後、結果が見え始めた。土の色がカーキ色からチョコレート色になるにつれて、ミミズ、ヤスデ、クモ、甲虫などの生命が地中からわくように現れた。花粉媒介昆虫や鳥が続いて姿を見せた。生命の叫びが私たちの足元から現われ、地上に広がり、私たちの庭と世界を見る目を変えた。

 

  

 

さて、規模を広げ、世界に目を移したとき

将来的にも持続可能な農業を目指すには、

土の肥沃度を増し、質のよい収穫量をあげ

農場の採算を改善する必要が求められます。

それは、これまでの慣行農法、つまり

工業化され化学製品を多用することから

離れることでなされたという体験談が

各地で語られているのです。

化学製品が世界が養うのは神話だといいます。

 

更に地球上には、現在の食料事情を考えて、

全ての人に食料を与え世界の健康を改善するという問題が

横たわり、そこで欠かせないのは、収穫量を増やすだけでなく

食品廃棄を減らすという広い視野も必要となります。

作物全体の30~40パーセントもが、農薬の大量使用にもかかわらず

害虫と病気によって失われているというのです。

 

また遺伝子組み換え作物が招いているいたちっご

(目先の利益と予想もしない問題発生)にも

気付かなければなりません。

 

 農家の短期的な利益と社会の長期的なニーズをどうすれば一致させられるだろう? それには伝統的な知識を、新しい農業システムを特徴づける現代の慣行に合わせてアップデートすることだ。そうするためには、私たちは土にかかわるもう一つの神話――土壌有機物は植物の養分ではない――を再考する必要がある。直接的には、もちろん、そのとおりだ。植物は炭素を光合成によって大気中から得る。だが、有機物は間接的に土壌生物の餌となり、周知のとおりそれは、植物の栄養と健康に重要な役割を果たす。奇妙なことだが、生命を土に取り戻す可能背は、私たちが死んだものと目に見えないもの――有機物と微生物――をどう見るかにかかっているのだ。

 

ところで、環境保全型農業と再生可能な農法を広く奨励する

政策的支援がなぜないのか、

これを問うと様々な噂が農家から聞かれます。

最大の障害は、アグリビジネス(農業に関連する経済活動)の

ロビイストの存在だといいます。

 

議会と監督省庁に影響を与える大規模な業界までの「金の流れを追え」というような答えが、たいてい返ってきた。変化の最大の妨げと考えるもの――既得権を守る政府の計画と、政策を左右する企業の利益――を指摘することに躊躇する者はほとんどいなかった。

 

どうやら、古今東西

新しいやり方へ移行するのを阻害している根本原因は

同じようですね。でも時代は確実に変わっています。

常に個人や小さなところから

草の根的にも新しい動きは始まっているという

明るい展望を忘れないでいたいものです。

 

 そう、私たちには世界を変え、太古からの物語に新しい結末を書くことができる。肥沃な土壌は、農業のやり方によって失われたり生まれたりするからだ。humus(腐植)とhuman(人間)が同じラテン語の語根を持つのは、いかにもふさわしいことだと思う。世界の農地に健康な土壌を取り戻すことは、人類の未来への投資として本当に有意義なことだからだ。だから世界に食糧を供給し、温暖化を防ぎ、失われる自然を押し留めるという手ごわい問題に立ち向かうとき、シンプルな事実を見失わないようにしよう。探している答えは、時に思ったより身近にあるものだ――私たちの足元に。

 

 

 

 

この著作は、実は三部作の最終巻にあたるということでした。

前の二冊も興味深い内容に感じます。読んでみたいな。

 

『土の文明史』 

 

 

『土と内臓(微生物がつくる世界)』

 

 

 

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追記:ダライ・ラマ法王が来日中ー各地での法話などネット中継

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前回、今秋の新刊として

ダライ・ラマ法王とツツ大主教の対談本を

載せました。

 

www.salon-shiroineko.com

 

 

今朝になって、

実は現在、法王が二年ぶりの来日中だと

知りましたので、追記です。

なぜか、マスコミはあまり報道していないようですが、

  

 

各地での法話やイベントのネット中継がされていると

いうことですので、貼っておきます。

 

 

 ネット中継 | ダライ・ラマ法王14世日本公式サイト

 

横浜での14,15日は過ぎてしまいましたが

まだ三日ほどあるようです。

 

ちょっとだけ、本日の最後の挨拶部分を聴いてたのですが

「自分が自分の教師である。自分の現実は自分がつくる。…

明るい気持ちを持って未来に向かってほしい…

日本人は真面目で勤勉であります。勉強や仕事も必要でしょうが

朝の少しの時間でもいいので、自分の内側を見つめてほしい…

心や考え方を変えるのはすぐには出来ないが、時間をかければ

徐々に変えることができます…」などと伝えられてました。

 

前回の本での内容の濃さもさることながら

 

 

実際に生の声を聞けるのはいいものですね。

 

また、初日の法話の報告(様子)はこちらにあります。

 

www.tibethouse.jp

 

 

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『よろこびの書 変わりゆく世界のなかで幸せに生きるということ』ダライ・ラマ、デズモンド・ツツ

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訳者の菅靖彦氏があとがきで述べたように

二人のノーベル平和賞受賞者でもある

ダライ・ラマ法王十四世と

名誉大主教デズモンド・ツツ

南アフリカアパルトヘイト(人種隔離政策)への抵抗運動での

指導的役割を果たした)の

時にお茶目な対談ドキュメントが、今秋初めに出版された。

 

ダライラマ、大主教ツツ よろこびの書

ダライラマ、大主教ツツ よろこびの書

 

 

ダライ・ラマ十四世の80才のお誕生日を祝うために

大主教ツツがインドのダラムサラを訪れた一週間、

彼らは「喜び」をテーマに語り合った。

インタビュアーも務め、科学的な考察なども含め

編集したダグラス・エイブラムス氏は長年、

ツツ大主教と共に仕事をしてきた。

 

世界に強い影響力を持つ二人の対談が

ドキュメンタリータッチで描かれ、

深い洞察がユーモアと共に語られており、

時にとてもお茶目なやりとりには

親しみを感じると同時に心が安らぎます。

 

今、地球上で繰り広げられている世界の情勢を

見るまでもなく、苦しみ多き世の中で

喜びを持って生きるとはどういうことなのか。

 

苦しく辛い中で喜びを持つのは難しいと考えがちの

私たちに、苦難の人生を歩んできたこの二人の

偉大な教師は、”苦しみがあるからこそ、

真の喜びを知ることができる”と繰り返し説いている。

 

――「どんな出来事にもさまざまな側面があります。たとえば、私たちは自分の国を失い、難民になりましたが、その経験がより多くのものを見る新たな機会をもたらしてくれました。――もしもラサのポタラ宮殿にとどまっていたら、黄金の籠(ラマ僧、聖なるダライ・ラマ)とも呼ばれてきた地位にあぐらをかいていたことでしょう」。

「個人的には、亡命生活の五〇年は良かったと思っています。より有益で、学ぶ機会や人生を経験する機会をより多く持てたからです。一つの角度から見れば、最悪で悲しいと感じることでも、同じ悲劇、同じ出来事を違う角度から見ると、それが自分に新たな機会をもたらしていることがわかります。だから、素晴らしいのです。私が悲しんでいないのはそのためです。“友達がいるところはどこでもあなたの国であり、愛を受け取るところはどこでもあなたの故郷です”というチベットのことわざがあります」

 

 

「つけ加えて私たちの兄弟姉妹に言いたいことがあります。苦悩や悲しみは多くの点で、制御することができません。それらは自然に生じます。誰かに殴られたとしましょう。痛みはあなたの中に苦悩や怒りを生み出します。あなたは仕返ししたくなるかもしれません。でも、仏教徒であれクリスチャンであれ、またその他の主教的な伝統に属していようと、霊的な成長を遂げれば、自分の身に起こることはどんなことでも受け入れられるようになります。罪があるから受け入れるのではありません。起こってしまったことだから受け入れるのです。人生はそうやって織りなされていきます。好むと好まざるとにかかわらず、起こることは起きます。人生にはフラストレーションがつきものです。問題は、いかに逃れるかではありません。いかにしてそれを肯定的なものとして活用できるかなのです。――」

 

  

 

「―― 幸せの究極の源は私たちの内側にあります。お金でも、権力でも、地位でもありません。私の友人には億万長者もいますが、あまり幸福な人々ではありません。権力やお金は内的な平和をもたらすことができません。外的な達成は真の内的な喜びをもたらしません。私たちは内面を見なければなりません。

 悲しいことに、喜びや幸せの土台を侵食する物事の多くは、私たち自身が作り出しています。それは否定的な心の傾向や感情的な反応から生じます。私たちの内部に眠っている潜在能力を認識し、活用することのできない非力さから生じることもあります。自然災害による苦しみはコントロールすることができませんが、日々の災いから生じる苦しみはコントロールできます。苦しみのほとんどは私たちが生み出すのですから、喜びだって生み出せるはずです。生み出せるかどうかは、状況や他者に対して私たちが取る態度やものの見方、反応に左右されます。個人の幸福について言えば、私たちが個人としてできることがたくさんあります」

 

私たちの心は放っておくと

人の言動や出来事にすぐ反応し

いら立ちや不満、怒りや悲しみなど

否定的な想いにいとも簡単に支配されてしまいがちだが、

それを俯瞰するように、視点を変えてみることも出来る。

ネガティブでいるかポジティブであるか

実は、全ては個人の選択次第というわけだ。

 

「ストレスや不安は往々にして期待しすぎや、野心を持ちすぎることから生じます」とダライ・ラマは言う。「私たちは期待を果たせないとき、あるいは、野心を達成できないとき、いらだちを感じます。野心満々というのは自己中心的な態度なのです。あれが欲しい、これが欲しい、というわけです。しばしば私たちは、自分自身の能力や客観的な現実を直視しようとしません。自分自身の能力を明確に把握すると、自分の努力を現実的に捉えられるようになります。そうすれば、自分の目標を達成するチャンスがずっと広がります。けれども、非現実的な努力は災いをもたらすだけです。私たちのストレスは、期待や野心によって生み出されるケースが多いのです」

 

 おそらく、それは優先順位の問題である。本当に追いかけるに値するものとは何だろう?

私たちが本当に必要としているものは何だろう? 大主教ダライ・ラマによれば、それは愛とつながりであるが、現代の生活には充分に行きわたっていない。そのことを理解すれば、私たちはいかに生きるべきかに意識的になり、やみくもに獲得することやつかみ取ることに邁進することはなくなる。ダライ・ラマが勧めるのは、もっと現実的になることである。そうすれば、いつも自分の期待や野望を追いかけるのではなく、内的平和の感覚を抱けるようになるというのだ。  

 

恐れやストレスや絶望など

喜びを妨げる人生の要素について考察し、

では、喜びを持って生きるために必要なものとして

次の八つの要素を挙げて、「喜びの八本柱」と名付けている。

それは

物の見方、謙虚さ、ユーモア、受容、

許し、感謝、思いやり、寛大さ、である。

 

ダライ・ラマと私が提唱しているのは」と大主教が付け加えた。「不安を扱う方法です。われわれは自分と同じような境遇にある人や、自分より劣悪な境遇にあるにもかかわらず、しぶとく生き残って成功している人について考えることができます。自分自身をより大きな全体の一部とみなすと、とても気が楽になります」

 繰り返しになるが、「つながり」こそ喜びの道であり、「分離」は悲しみの道なのだ。他人を分離しているとみなすと、脅威となる。私たちの一部であり、つながりを持って相互に依存し合っているとみなすと、挑戦的になる必要はない。

 

人は誰もが、愛と繋がりを求めて生きている。

分離感は喜びを遠ざける。ただし、人は

周りに人々がいても孤独感を感じることもあれば、

また独りでいても満ち足りていられるように

これは内的に心からのつながっているという

感覚を持つかどうかであり

外側からはわからない。

すべては、内側の心の在り方次第で、

その心を育むことこそ優先事項だと伝えている。

 

ダライ・ラマ法王が

これからの世界を変えていくのに重要なのは

個別の宗教(それがどんなに優れていたとしても)ではなく

新しい教育だと述べていたのも印象的だった。

 

ダライ・ラマ法王とツツ大主教のやりとりや主張はもとより、

彼らのしぐさや表情も描写され、

微笑ましい心温まる友情物語ともなっている。

また、チベット子供村で行なわれた誕生パーティのくだりなど、

親から離れて暮らすことになったいきさつを子供たち自身が語る

姿には心を打たれる。

 

私は、たいていの本は、

速読だったり、拾い読みが得意な方で

さっと読み終えることも出来るのだが

今回は、じっくり読み入って

時間がかかってしまった(笑)

 

「これが仏教徒キリスト教徒の本でなく、科学によっても支えられている普遍的な本であることが重要なのです」とダライ・ラマは語っている。

 

巻末には、喜びの実践のための手引き、

実際に法王や主教が行っているという

ラクティス(ワーク)も載っています。

ダライ・ラマ法王は、

心の免疫をつけることが大切だと述べていましたね。 

 

「人生のあらゆる出来事には」とダライ・ラマが語り出した。「さまざまなアングルがあります。同じ出来事でも、より広い視野から見ると、心配や不安が減り、より大きな喜びを感じます」。ダライ・ラマは、母国を失う不運をどのようにしてチャンスとみなすことができたかについて語った際、より広い視野を持つことの大切さを強調した。亡命の最後の半世紀を「肯定的に捉え直した」と彼が言うのを聞いたとき、私は開いた口が塞がらないほど驚いた。彼は自分が失ったものだけでなく、得たものを見ることができた。交際範囲の広がり、新しい人間関係、形式主義からの脱却、未知の世界の発見、他者から学ぶ自由など。「ですから、ある角度から見たら、惨憺たる気分になり、悲しくなるような悲劇的な出来事も、別の角度から見ると、自分に新しい機会を与えてくれることがわかります」 

 

 ダライ・ラマは、より広い視点、より大きな視点という言葉を使う。それらの言葉には、一歩下がって、自分自身の心の中で、より大きな構図を見、私たちの限られた自己認識や利己心を超えて進むという意味がこめられている。 

 

 

 

追記:ちなみに、 ダライ・ラマ法王は、現在(11月に)

来日中とのことですね。

 

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豪華な大型本『ムーミン谷のすべて』徳間書店は、ムーミンとトーベ・ヤンソンファンさん必見!

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前回もちらと触れましたが、今秋出版された

徳間書店の新刊『ムーミン谷のすべて ムーミントロールトーベ・ヤンソン

 

ムーミン谷のすべて: ムーミントロールとトーベ・ヤンソン (児童書)

ムーミン谷のすべて: ムーミントロールとトーベ・ヤンソン (児童書)

 

 

 

見ました~、そして読みました!

楽しかった、面白かった、興味深かった…。

それにしても

まず、実際に本を見てビックリ

でかい、

いや大きくて厚い

中身も熱い~(^^♪

サイズを確認してなかったのですが

アマゾンで梱包サイズを見直したら

27.8×22.4×3.6㎝ とありました。

図鑑のようですよ、まるで。

 

全ページカラーの豪華本。

大きいから、ふんだんに盛り込まれた

絵や写真もとても見応えがあります。

何より、内容も充実している。

(児童書)ともあったけれど

文学好きの大人でも読み応えあると思う。

何といっても(児童書)とても読みやすいし、

文字も大きめで、中高年にも嬉しい(笑)

 

 トーベの作品はほかにはない世界で、たぐいまれな想像力を駆使して描かれています。それは、魔法と憂鬱、友情と家族の愛の世界です。そしてこの世界には、小さな生きものの持つ希望や恐れや夢への、トーベの驚くべき洞察が隠されているのです。読者も、小さな生きものの気持ちにひそかに共感することでしょう。そして、どの本にも、生き生きとしたおもしろい、愛すべき登場人物が息づいているのです。

 

この“はじめに”の一節は  

著者のフィリップ・アーダー氏によります。

氏は、イギリスの児童文学作家。

考古学と歴史にも興味があるそうで、

海辺の町で奥様と二匹の猫と暮らしているとのこと。             

 

本は、第一部と第二部に分かれ、

まずムーミンの世界とそこに住む仲間たちが紹介され、

その後、すばらしい芸術家トーベ・ヤンソンの世界を見せてくれます。

 

出典となっているのは、ムーミンシリーズの主な八冊の物語。

折々に、“ムーミンの知恵”として

物語から、ふんだんに引用されている文章は

いわば名言集ともいえそう。

 

とにかく、イラストと原画、参考資料、貴重な写真が豊富で

見やすく、ムーミンシリーズ愛読家としては、ぼれぼれ眺めちゃう。

また、ムーミンシリーズにはさまざまな登場人物がいて、

これがちょっと複雑で、ややこしかったりもするのですが、

(実はスナフキンとミイが兄弟(姉と弟にあたる)と

いうのは知ってましたが)

見事に一人ひとり丁寧に紹介されていて、あらためて

それぞれのキャラクターについて

そうだったんだ~と納得しました(笑)

 

 

  

 

個人的には、やはり二部の

ムーミンの作者トーベ・ヤンソンさんについての

生い立ちから暮らしと多彩(多才)な仕事、世界観や芸術に関して

読み応えありました。(写真と資料が多く見応えも)

 

ムーミンの物語がはじめて生まれた時代は

当時の戦時下(フィンランド冬戦争時)であり、

物語は、暗い現実を脱するためのおとぎ話、

想像の産物として始まったそうですが、その後

戦争の終わりに向かい、創作意欲も復活し

挿絵をつけて完成されていったといいます。

 

ムーミンの世界は、自然豊かなフィンランドの風土に

根ざしたものであり、独特な雰囲気をもっていますが

愛の寛容さと自由に満ちた世界観が広がっているのも

特徴といえるでしょう。

 

この大型本の見開きには

“Labore et  amare.” 

働け、そして愛せよ とのトーベの言葉が記されています。

彼女が自身の芸術家としての仕事をいかに

家族や友人と同様に愛していたかが伝わってくる言葉ですが

一貫して自由な表現と主張を込めた幅広い業績にも

感心させられる内容となっています。

 

私は、トーベの母親がモデルといわれる

ムーミンママが好きなのですが、

ムーミンママがイギリスの子どもさんへと

送った手紙の追伸も微笑ましいものでした。

p.s. 字のまちがいをおゆるしくださいね。わたしたちムーミンは、気のむいたときしか、学校にイかないものですから。 

熱心な子供たち読者への返信も

労を惜しまなかったというトーベ。

 

また、前回載せた異色の一冊『ムーミン谷の十一月』についてですが、

実は、トーベの母親ハムが亡くなった悲しみをも表わしていると

されていたのですね。

そして、これがシリーズ最後の一冊ではありましたが、この後

出された絵本がまた不思議な世界を描いた

ムーミン谷へのふしぎな旅』でした。

本当に、いろいろ興味の尽きない話が載っています。

 

ありがたいことに

すぐに図書館で購入してくれたようで

こうして早く、実物を手に出来てよかったですが

重くて持ち運びが大変だったから

車で助かりました(笑)

この一冊は、ムーミンの物語が好きな人には

贈り物としても喜ばれるかもしれませんね。

目下、本棚も断捨離中の私は、

購入本はかなり慎重にしているのですが

この『ムーミン谷のすべて』は、以前の一冊

ムーミン画集 ふたつの家族』↓と共に

 

 

www.salon-shiroineko.com

 

 

是非、本棚に迎えたいと思っています。

 

 

 

 

芸術にできるすばらしいこと——よりよい世界を作ること。

 風刺画家、パブリックアーティスト、さらにだいじなこととして、フィンランドのある種の文化大使など、トーベの社会的な役割における強みは、彼女の作品がとても個人的だという点にある。彼女のもっともよく知られた絵画は自画像だし(「都会のパーティ」には自画像とともに小さなムーミンも描かれている)、物語の登場人物は家族や友人をモデルにしている。

 

 『たのしいムーミン一家』の終わりに、ムーミンママのハンドバッグが返されたことを祝うパーティを描いたすばらしい絵がある。だれもがパーティーに参加している——恐ろしい飛行おにでさえも。なぜならムーミンの世界では、敵を打ち負かしたり恐怖を追いやったりはしないからだ。敵も恐怖も招き入れられ、居場所が準備されている。わたしたちの弱さももろさも、夏の太陽の下に、存在することが許されている。

これこそがトーベが芸術を通してやってきたこと——すべてのものをパーティに招き、そのままの姿で来てください、と言うこと。

 

 

 ムーミントロールっぽい?猫

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『ムーミン谷の十一月』-内向と深まりゆく季節に/ムーミン年賀状、新刊『ムーミン谷のすべて』

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11月に入りました。

 

子供も読めるが(児童書として)、大人になってから、読んでみて、

その面白さと深さ、実に読み応えのある内容に驚く本も結構あるもの。

前にも触れていますが、

トーベ・ヤンソンムーミンシリーズ(全9冊)の文庫もそう。

その最終巻という新装版『 ムーミン谷の十一月 (講談社文庫)』は、

そのムーミン一家は旅に出て留守という異色の設定。

 

新装版 ムーミン谷の十一月 (講談社文庫)

新装版 ムーミン谷の十一月 (講談社文庫)

 

 

冬を前に、深まる秋の気配に促されるように、

ムーミン谷を訪れたお客たちが

それぞれのムーミン一家への想いを抱きつつ、

集って繰り広げる物語。

愉快で楽しい一家に会うのを期待していたのに、

その不在にがっかりしつつも、

かなり個性的な面々が、一時を共に暮らすことで、

それぞれと向き合い、

それなりの経験を経て、また戻っていく。

そうした姿がそれぞれ印象的で、

深い余韻を味わえる傑作だと思う。


このお客6名は、

おなじみのスナフキンミムラねえさんのほか、

フィリフヨンカ、ヘムレンさん、スクルッタおじさん、

そしてホムサ・トフト。

このちびっこホムサは、

とりわけ、ムーミンママへの思慕が強かった。

 

  

 

 スナフキンは、魔法びんを出して、ジョッキみたいな茶わん二つに、紅茶をいっぱいつぎました。

「そこに、おさとうがあるよ」と、スナフキンはいいました。
ムーミンたちは、いつかまた、帰ってくるよ」
「いつかだって!」と、ホムサは大声を出しました。
「いま、ムーミンママが帰ってこなくちゃいけないんだ。ぼくが会いたいのは、ママだけなんだ」
 スナフキンは、肩をすぼめました。パン二きれにバターをぬりながらいいました。
「ママのほうが会いたいのは、だれかしらね……」
 ホムサは 、それ以上、なにもいいませんでした。ホムサが帰るとき、スナフキンは、うしろからさけびました。
「あんまり、おおげさに考えすぎないようにしろよ。なんでも、大きくしすぎちゃ、だめだぜ」

 

その後、ホムサは、

“ちっともこわがらない人、人のことを心から心配してくれる人、

そうだ、ぼくは、ママがほしいんだ”と気づき、

ムーミンたちに会いたくてたまらない。

冬も近づき、次々と皆が戻っていき、

やがてスナフキンも旅立ち、谷に残ったホムサは、

ムーミンママが一人になりたいときに立ち入ると

聞いた裏山にはいってみる。

 

 ホムサ・トフトは、森の中を、奥へ奥へとはいって、いきました。なんにも考えないで、枝の下をからだをこごめてくぐりぬけたり、はったりしているうちに、頭の中が、あの水晶玉とおんなじようにからっぽになりました。そうだ、ムーミンママは、くたびれたり、はらがたったり、がっかりしたり、ひとりになりたいときには、あてもなく、はてしなくうす暗いこの森の中を歩きまわって、しょんぼりした気持ちをかみしめていたんだ……ホムサ・トフトには、まるっきり、いままでとちがったママが見えました。すると、それがいかにもママらしくて、自然に見えました。ホムサは、ふと、ママはなぜかなしくなったのだろう、なぐさめてあげるには、どうしたらいいのだろう、と思いました。

 

こうして期待でなく、

ありのままの姿を思いやれるようになったホムサ、

旅から戻ってくるムーミン一家を

迎えようとするであろうラストがまた、

秀逸で心あたたまります。

季節が移ろう自然描写もひときわ印象深く、

冬に向かう、晩秋にふと読み返してみたくなる

一冊でもあります。

 

 

 自己啓発本も好きなのですが(笑)

こうした素晴らしい文学の行間の響きと味わいは、

また格別の喜びではないでしょうか。

 

ちなみに、今季の

郵便局のコレクション年賀状に

ムーミンが登場していました。

 

print.shop.post.japanpost.jp

 

また、先月

ムーミン関連本も出版されています。

なかなか立派で豪華な感じの一冊で、

英国の児童文学作家がムーミンの世界について解説している

とのこと。 

 

 

 

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