スポンサーリンク
世に器用といわれる方も沢山おられますが、
いわゆる不器用と呼ばれる人も少なくありません。
私も、どちらかといえば、不器用、つきつめれば
めんどくさがり、ということだと思うのですが、
子供の頃からも、父母が器用だったために、
どうしてあなたは・・・なんだろうね、と
ことあるごとに言われたのもまずかったのでしょう。
そんな私が、子供の頃に投げだしていたかぎ針編みを
中高年になってから、ふと手にしてやってみたら、
あっさり編めた!じゃん!ということで
かなりはまった時期があったのです。
私の場合は、夏のみならず季節を問わないレース編みです。
しかも、編み上がるものときたら、概ねがドイリー(花瓶敷き)という感じ。
芸がないといえばそのとおりなのですが、本人は飽きもせず、
いったん、レース糸を左手に引っ掛け、右手でレースのかぎ針一本を持てば、
ただひたすら動かし続ける…
あまりに単純なその作業に没頭していたりするのです。
これはたぶん、誰かが言っておりましたが、
ただ雑巾を縫うとか、そこらへんを掃除するとか、
残り野菜を刻むとか、あるいは草取り、又はお鍋を磨くとか…、
そうしているうちに特別なことは考えておらず、
ただそれをするという行為だけになる、というのに、
似てなくもないかもしれません。
となると、もしや、これも一種の瞑想では…!?
まあ、そんな談議はともかく、手さえ動かしていれば
やがていつかはなにやら形となり、
出来上がっていくというのが又、楽しい…。
小さなものでも、レースは繊細で優美な趣があって、
そこが又いいのでしょう。
出来上がれば嬉しく、気に入ったものは自分でも使ったりしますが、
大概、編みあがったものは他の人様にお使い頂くことが多くなります。
編む過程が好きなのか、一つ上がると、
すぐ次はこれを編もうと図案の本の頁を
めくるのが又楽しみの一つなのです。
かなり以前、居間にガラスの丸テーブルを入れた後、
一念発起して?テーブルセンターを編もうと思いついたことがありました。
で、何とか断続的に編み続け、仕上がったのが(写真)
例外の大物(直径125㎝)でしょうか。
実はしばらく編んでいなかったのです。いろいろ古いものを片付けていて、
編みかけを見つけて、それだけ仕上げてしまうはずだったのでしたが、
かぎ針を手にしたら、もうどうにも止まらない…。
更に(見なければいいものを)新しい図案を見てしまったので、
やれやれ、また始まっちゃったかもレース編み…。
(かつての熱中時代より)
とまあ、いう時代があって、
面白いことに、楽しく編んでると上手になってくるのか、
編み上がったものを見て、欲しい(有償でと)言って下さる方も
現れるくらいになったんですね。
最初に、親の悪口?めいたことも言いましたが(笑)
レース編みは母もよくやっていて、大変上手でした。
母が他界する少し前に、よく、並んで一緒に編んでいたひとときは
今では、貴重な思い出のひとこまとなりました。
で、そのレース編み、今はやっていません。幸年期!なるお年頃か
眼と肩のいたわりが必要になってしまったからなのですが、
度重なる断捨離の対象とはならず、大量の?レース編みの本と
レース糸と道具はまだ押し入れにしまってあるのでした。
今日は、本でなく、他の趣味のお話で、たまにはね(笑)
応援クリック↓↓よろしくね!
ありがとう♪ 励みになります。
にほんブログ村
ご来訪ありがとうございます。