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こんにちは。
3月ですね!
風があるけれど気温が上がって
春の陽気です。
昨夏迎えた鉢植えの
金魚葉つばき(久留米)が
咲き出しました。
昨日
そして今日
傍に寄るといい香り~こちらは
下にある鉢植えの前島(斑入り沈丁花)ですね。
ちなみに地植えの方はまだ蕾です(半日蔭のせい?)
紫色のクロッカス リメンブランスも開花してました。
梅もだいぶ開花してます
門脇の植え込みのスミレたち
虹色スミレ(左)の脇で、
絵になるスミレも再び開花していました
さて、庭からキッチンに話はうつりますが
昨日(火曜)は久しぶりにマルグリッド型で
デーツケーキを焼きました。
飾りにかけたのは粉砂糖なので、
完全シュガーフリーじゃないけど
溶けにくい粉糖を使ったら、
確かにちゃんと残っているわ(笑)
しかし、ケーキのほうは既に1/4程になったので
今朝はまた、ポテトとチーズのパウンドケーキを焼きました。
食養ケーキ(グルテンフリー、シュガーフリー)づくり
一日おきにするはずが、連日じゃないの(;'∀')
美味しいのはいいけど、よく食べるからね~(笑)
レシピは参考にしてるけど
最近はその時々あるもので
材料も分量も適当にやってます。
ところで先日、図書館で借りた本が
ちょっと面白かったので載せておきます。
ケーキとは不思議なものだ。そこから生まれるさまざまな感情と料理としての重要性は、まったく一致しない。完璧なおまけでありながら、きわめて重要なもの。おそらくケーキなしの誕生日や結婚式はありえない。また、クリスマスのお祝いにもケーキは欠かせない。――
食べ物としての実際の位置よりも象徴的意味合いのほうがまさっているものの代表選手がケーキといえる。何はさておき、ケーキとは概念なのだ。
とはいえ実体があることもまちがいない—―とろけるようなスポンジやどっしりした中身にフルーツが散りばめられていたり、こってりしていたり、クリーミィだったり、すてきにねとねとしている材料を使っていたり、食べごたえ満点だったり砂糖衣が罹っていたりオシャレだったり——何層にも重なっていたり。一口食べればすぐにわかる。その甘美な味わいはまぎれもなく現実だ。
しかし、そうした圧倒的な存在感にもかかわらず、なぜかとらえどころがないのもケーキである。ケーキの歴史を追いはじめたとたん、相反する数々の定義にもまれて途方にくれてしまうだろう。つまり、何をもってケーキとするか、という大問題にぶつかるのだ。
ケーキの定義は曖昧だが、
現代のケーキの直接の祖先はパンとなる。
パンとケーキの歴史も重なり合っているが
古来から儀式や祭式にも使われてたようだ。
なるほどと思ったのは
貴族文化が強いフランスのケーキは
プロのパティシエによるところが大きく、
イギリスのケーキは家庭料理としての
ホームベーキングの習慣を持ち、
これは北欧諸国とアメリカでも同じだという。
ちなみに家でも焼くようになった
フィンランドのデーツケーキは
別名コーヒーケーキだけど
北欧諸国でコーヒーに菓子パンかケーキで
午前中に一服する風習からきていると
ここで知りました(笑)
ウエディングケーキもそうだけど
装飾性を追求した芸術的品なケーキもあり、
歴史や文化、生活史、そして文学作品でのケーキなど
多岐にわたり、巻末にはちょっとしたレシピまで。
ザッハートルテといえば、デメルかと思いきや
オリジナルをめぐって法廷闘争が繰り広げられたりとか
ケーキも奥が深いですね(´∀`)
先週末、久しぶりにフランス菓子イヴリーヌさんの
美味しいケーキ(マスカルポーネ)を頂いた。
手前の赤いマッチ棒みたいのは、ドウダンツツジの新芽
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